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危機管理のために国民に必要なのは確率論の教育ではないか!?

東日本大震災のとき,そして新型コロナウイルスについて,マスコミの報道内容や国民の反応などを知るにつけて感じるのは,これらにおいて理解するために本質的に必要な確率についての議論を国民が理解していないのではないかということだ. それを解決するためのひとつの方法は,時間がかかることではあるが,確率論の教育を強化することではないかとおもう.

最近の中学や高校のカリキュラムがどうなっているのか,よくは知らない. しかし,確率論の教育に関してはすくなくともいわゆる「ゆとり教育」でよわめられたことはまちがいない. 最近それが強化されているとしても,十分ではないのではないか?

東日本大震災のとき,枝野官房長官は原発事故について国民にできるだけ正確に理解してもらうように努力していたとおもう (ただし,秘密にされていたことはある). 私はその説明に納得していた. しかし,おおくの国民はそれを理解していなかった,そしてそのために不安になっていたようにおもう. それは,原子力の理解のためは確率論が本質的だが,それを感覚的にも理解していない国民が多かったからだとおもう.

新型コロナウイルスについても,それがひろがるプロセスや対策を理解するうえで確率論をすくなくとも感覚的に理解していることが必要だとかんがえられる. みえないウイルスについてどう対処したらよいかを知るには,確率論の理解が不可欠だとおもう. おおくの国民がそれを理解していないことが不安を増幅しているようにおもう.

これはいますぐ解決できるようなかんたんな問題ではない. しかし,これらで代表される危機的な状況に対応するためには,国民がすくなくとも感覚的に確率について理解することが必要なようにおもわれる. そのためには中学・高校での数学教育が重要であり,カリキュラムを強化する必要があるようにおもう.

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