「差別語」 とされていることばのなかにも,あきらかにそういう意図をもってつかわれていることばと,もともとは差別的な意味がないのにそういうニュアンスをおびているものとがある. 「朝鮮人」 ということばは後者だろう. この地域は古代から 「朝鮮」 とよばれ,「朝鮮」 ということばは現在でも誇りをもってつかわれているはずだ. にもかかわらず 「朝鮮人」 ということばは避けなければならない. これはおかしなことであり,改善するべきことだ.
あることばが差別的なひびきをもつようになると,当然のことながら,それを避けようとするうごきがでてくる. その結果,つぎつぎとあたらしいことばがつかわれるようになる.
「朝鮮人」 ということばも,差別的なひびきがあるというので,避けようとされている. しかし,「朝鮮」 ということばを避けることはできないし,避けるべきでもないだろう. そうであれば,「朝鮮人」 ということばを差別からすくいだす必要があるのではないだろうか? 最近ではコリアンなどということばもつかわれているようだが,これではその名でよばれるひとびとが 「朝鮮」 という歴史ある地域や祖先からきりはなされてしまうだろう.
「日韓併合は単純な植民地化より悪い ― 韓国人のアイデンティティをうしなわせた植民地政策」 という項目に書いたように,いま韓国のひとたちにとって重要なことはアイデンティティを回復することだという. それは 「朝鮮人」 としてのアイデンティティのはずだ. このことばを捨ててはならない. そして,それを差別語にしてしまった日本人が,それを回復させるべく努力する必要があるだろう.