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Wikipedia はなぜ古典的な百科事典より便利なのか?

私はかつて,世界大百科事典の検索法の開発を仕事としていました. 当時はいつも PC のドライブに世界大百科事典の CD-ROM や DVD-ROM をいれていました. それなのに,この百科事典をひくことはまれでした. ところが,いまではしばしば Wikipedia をひいています. いまや不可欠な道具になっているということができるでしょう. PC のドライブにははいっていませんが,世界大百科事典もいまでもつかえます. それでも,いまもやはり,つかうことはまれです. なぜこうしたちがいが生じるのでしょうか?

2008 年 4 月 24 日現在,日本語版の Wikipedia には 485982 本の記事 (項目) があるということです. これに対して世界大百科事典は,項目数 (おおみだし) は約 9 万なのでだいぶすくないのですが,索引項目数は 49 万ということです. したがって,この意味での項目数は Wikipedia と同程度ということになります.

しかし,私がつかった感触からすると,世界大百科事典のほうが知りたいことが書いてないことがずっとおおい,そのためにあまりつかわなくなってしまったのだとおもいます. これは,たぶん,世界大百科事典のほうがふるい内容がおおい,つまり,いま私がしりたくなることがまれな項目がおおいからだとかんがえられます.

やはり,事典はしりたいことが書いてあることがなにより重要です. ホットな内容はそれだけまちがっている可能性もたかいということですが,それはウラをとればよいわけです. というわけで,残念ながら古典的な百科事典は Wikipedia ほど有用ではありませんが,相補的だということは重要だとおもいます. つまり,古典的な百科事典には Wikipedia に書いてないことが書いてある可能性がたかいわけです. まれにしか必要にならないから不要だということにはならないでしょう.

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