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心理

クオリアと,過去をおもいだすときの雰囲気あるいはムード

過去のできごとをおもいだすとき,うまく説明できないが,それぞれのできごとに依存した雰囲気あるいはムードのようなものをともなうことがある. それは説明できないし,ひとがそれについて書いているとしても,それとおなじものかどうかをたしかめることができない. しかし,茂木健一郎がいう 「クオリア」 は,もしかしたらそれとおなじものなのではないかともおもえる.

その雰囲気あるいはムードは,単なる知識やイメージの記憶とはちがう. 脳のなかにひきおこされたある種のパターンのようなものなのではないかとおもえる. いくつのパターンがあるのかもよくわからないが,すくなくともいくつかのことなる雰囲気・ムードがあるようにおもう. しかし,このように説明してみても,うまくつたわっているとはおもえない.

そのできごとを経験したとき,おなじ雰囲気・ムードをあじわっていたのかどうかはよくわからない. そのときには,そんなムードにひたる余裕もなかったのではないかとおもえる. すくなくとも,最近のできごとの経験のなかで,そういう雰囲気をあじわうことはないようにおもう. しかし,それならどうして,あとになってそういう雰囲気・ムードにひたることができるのかはよくわからない. しかし,そのできごとをおもいだすとき,その雰囲気・ムードをなつかしく,あじわうことになる. クオリアがもし現在のものであるのなら,この雰囲気・ムードはそれとはちがうものなのかもしれない.

しかし,としをとってきて,そういう雰囲気・ムードをあじわうことが減ってきたようにもおもう. 過去をなまなましくおもいだすことじたいが減ってきているようにもおもう. 以前からそうだったが,過去をなつかしくふりかえるような趣味も時間もいまは (まだ) ない. それは以前もいまもそうなのだが,忘却のためか,過去のできごとの雰囲気・ムードをあじわうことはへってきている. それは,最近のできごとでそういう雰囲気を感じることがなくなったことと関係しているのかもしれない.

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