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政治・法律・憲法

無罪は評価できるが内容は評価できない最高裁の痴漢事件判決

防衛医科大学校教授の名倉正博被告 (63) が 3 年前に女子高校生のからだをさわったとして強制わいせつの罪にとわれた事件で,1 審,2 審は有罪だったが 4 月 14 日,最高裁において無罪判決がだされた (痴漢裁判 最高裁で逆転無罪). 無罪になったのは画期的だが,どうも判決の内容には疑問がのこる.

判決において裁判長は 「女子生徒が被害を避ける積極的な行動を取っていないことや,途中の駅でいったんホームに出たのに男性がいる車両に再び戻っているのは不自然なことなどを考えると,供述の信用性には疑いの余地があり,男性の犯行とするには疑いが残る」 としているという. しかし,問題はむしろ,満員電車のなかではだれが痴漢行為をおこなったかがわからないことにあるのではないだろうか. 容疑者の特定以外の点で供述に信用性があるとしても,ただしく特定されたかどうかはわからないだろう.

現状ではおおくの判決においてこの点が明確にされないまま,被害者が犯人としてあげた人物が被告として有罪判決をうけている. 上記の判決においても,この点は問題にされず,むしろ痴漢行為があったのかどうかを疑問視しているようにみえる. 痴漢行為そのものの有無にうたがいがあるのでなければ,被害者の感情に配慮して犯人をでっちあげなければなければならないという点においては,なにもかわっていないようにみえるのである. これでは,「疑わしきは罰せず」 という本来の刑法の趣旨からはまったくかけはなれている. 痴漢行為がおこなわれたことが認定されるかぎり,事件にまきこまれれば有罪をまぬがれえないことになって,本質的な問題の解決にはつながらない.

キーワード: 痴漢事件, 満員電車, 痴漢冤罪

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