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文化・教育と学習

理科学習に不利になった環境が理科ばなれの一原因 (?)

理科がこどもの興味をひかなくなったといわれている. 教師の能力を問うひともいるが,むしろ環境に原因があるのではないだろうか. とくに都市においては自然にふれる機会がすくなくなったし,時計などの人工物もそのしかけが不透明になってしまった. むかしは理科への興味をかきたてていた,こういうものたちが,いまはきえてしまったことが,理科への興味をうしなわせているのではないだろうか.

Kamakiri.jpg 私が理科に興味をもったきっかけのひとつは,自宅の庭などにいる虫や鳥や植物などだったとおもう. いまでもおなじ場所に家があり,庭もあるのだが,その魅力は私のこども時代とくらべると,ずっとすくなくなってしまっている.

庭をせまくしてしまったのは私自身だが,それ以上に虫も鳥もすくなくなってしまった. 近年は家で鳥の声をきくことがすくなくなってしまったが,どうしてなのだろうか? 虫はいまもある程度はいるが,カマキリなどはいなくなってしまった. (庭のカマキリの写真は 「FuchsiaJP Garden Diary: ちびカマキリ君」 から借用した.)

私がこどものころは,家のちかくに探検できる空地があった. そこには土管がころがっていたりした. 木や草がしげっているヤブもあった. こうした場所がいま,家のちかくにはまったくなくなってしまった. 理科にかぎらないが,こういう場所はこどもをひきつけて,いろいろな経験をさせる. (土管のある空地の写真は 「ぺすけ@ココログ: 土管。」 から借用した.)

Dokan.jpg Clock.jpg

さらに,人工物に関しても,むかしのほうがこどもの興味をひきつけやすかったようにおもう. こどものとき,時計やラジオを分解したものだ. 時計は機械式だったので,分解すればメカニズムがみえる. ラジオも個別部品でつくられていたので,構造がはっきりわかった. いまは少数の LSI などでつくられていて,そのなかのしくみはまったくわからない. 分解してもおもしろくない. (分解された時計の写真は 「ちょい古道具ライフ: 思い出の目覚まし時計」 から借用した.)

こういう環境でそだつと,物理的な感覚がやしなわれない. それが理科への興味をうしなわせているのではないだろうか? おもしろい理科実験をして,こどもの興味をひきつけてくれるひとがいる. しかし,そういう実験は非日常的なものであることがおおい. そういう実験はこどもを非日常の世界につれていくが,日常の世界にもどったときに興味は持続しないのではないだろうか? 日常生活のなかで興味をひきつけるものをみつけだせるかどうかがカギなのではないだろうか.

キーワード: 理科離れ, 学習環境

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