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歴史:戦争, 歴史, 書評:歴史

悪しき 「武士道」 がまねいた玉砕 ?! ― 「鬼太郎が見た玉砕」

8 月 12 日に NHK で 「鬼太郎が見た玉砕」 を見た. これは水木しげるの 「総員玉砕せよ!」 (集英社板講談社文庫版) にもとづいていて,水木によれば,ラバウルでの体験を 「90 パーセント事実に基づいて」 書いているが,一部,脚色された部分がある. 水木の作品にはより経験に忠実に書いた 「水木しげるのラバウル戦記」 もある (Web 上の 「水木しげる伝」 にも同様の内容が書かれている).

すでに Web 上にいろいろな番組評,書評が書かれているが,そのおおくは戦争の悲惨さ,二等兵の悲哀などについて書かれている. しかし,私がもっともつよく印象づけられたのは,名誉のため玉砕を志向する大隊長とそれを避けて兵士たちをすくおうとする中隊長のはげしい対立,そして一時的にはすくわれた兵士たちが結局はメンツを重視する参謀によってふたたび玉砕をしいられるところだった. とくに,前者には 「武士道」 とのつながりを感じてしまう. この部分に注目している評がないことがむしろ,ふしぎである.

ドラマにおいて,わかい大隊長は,病気で兵がむしばまれつつあるなかでは玉砕が名誉をまもる唯一の方法だとして玉砕命令をだすが,老練な中隊長は生きて戦闘をつづけるべきだと,それにまっこうから反対する. 大隊長のかんがえは 「あきらめ」 ともとれるが,死に場所をもとめ,いさぎよい死をえらぶのは,直接的には 「生きて虜囚の辱めを受けず,死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」 という東条英機の戦陣訓によるものだろう. そしてそのもとをたどれば,新渡戸稲造がいうような,名誉をおもんじて切腹 (= 玉砕) をいさぎよい死にざまとした 「武士道」 にもとづくかんがえだとも解釈することができる. このような 「武士道」 のために,大東亜戦争において,どれだけの士官や兵士がぎりぎりまでたたかわずに死んだことだろう. それは,ぎりぎりまでたたかうことをさまたげ,日本軍のちからをよわめるものだったとかんがえざるをえない. 小室直樹もいくつかの著書のなかで,このようなありさまをえがいている.

このようにかんがえてみると,はたして 「武士道」 が美徳であるのかどうか,うたがわしくおもえてくる. 現在でも,仕事などにおいてぎりぎりまでがんばらずに撤退するひとがおおいようにおもわれる. それは名誉をおもんじてのことではなく,したがって 「武士道」 とのつながりもないかもしれないが,どこかで玉砕の思想とつながっているのではないだろうか.

キーワード: 水木しげる, ゲゲゲの鬼太郎, 玉砕, 戦陣訓, 武士道, 大東亜戦争, 太平洋戦争, 日米戦争

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