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アメリカは日本より失敗経験をさせる国 !?

ダラスで機内にコーヒーをもちこんで失敗した. こんなことは日本でもおこりうるだろうが,ふと,アメリカと日本との (社会での教育上の (?!)) ちがいに,おもいいたった.

スターバックスのコーヒーなので,ふたはついている. しかし,ふたにはあながあいている. そこからコーヒーをこぼして,他人の服につけてしまった. さいわい,すぐにゆるしてもらったのだが,ふたたびおこらないようにするべき失敗であることはたしかだ. 日本だったら,もしかしたら,だれかがコーヒーを機内にもちこまないでくださいとか,こぼさないように注意してくださいとか,いわれたのではないかと想像した. ダラスでは,だれもなにもいわなかった.

ボーディングのまえから,私は危険に気づいていた. しかし,注意すればふせげるだろうとかんがえていた. しかし,実際にはほかにも注意するべきことがあり,コーヒーに注意を集中できなかったので,こぼすにいたった. これで,失敗からまなんだことになる.未然にふせいでいれば,まなぶこともなかった.

日本では,失敗させないように,未然にふせぐことがおおいようにおもう. それに対して,アメリカでは失敗の可能性があっても自由にさせている. それは自由が重要だとかんがえているからでもあるが,結果として,ちいさな失敗をさせることにつながっているようにおもう. ちいさな失敗をしてそこからまなべば,かしこくなることができる. 失敗することがなければ,かしこくならないだろう. それがおおきな失敗につながるときはアメリカでも自由を制限したほうがよいという議論もでてくる. 銃の所持はそういう問題だ. アメリカ人は銃を所持する自由も尊重するが,その失敗は殺人という重大な結果にもつながるから,反対するひともでてくる.

日本では,たぶんこれまでは失敗からまなばなくてもやってこれたのだろう. しかし,これからはどうだろうか. グローバル化についていくには,失敗からまなぶことも必要になってくるのではないだろうか? もちろん銃の所持まで自由にしなくてよいが,もっとちいさな失敗の可能性はみとめてもよいのではないだろうか?

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