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読めなかった & 書けなかった英文論文が読み書きできるようになったわけ

英語の論文を書くのはいまでもへたですが,それでも,ひとなみには書けるようになったようにおもいます. また,「速読のための訓練」 という項目に書いたように,必要にせまられて英語の論文をスクリーニングする技術を身につけました. いずれも,会社づとめをはじめたときには,まったくダメでした. 会社ではいろいろな仕事をしなければならなくなるので,ずいぶん時間をかけて,やっとここまできました.

大学でも多少は論文のよみかたの訓練をうけましたが,ほとんどダメだったといってよいでしょう. 書くほうは日本語しかできませんでした.

1987 年にはじめて英語の論文を書いて投稿しましたが,いまからかんがえるとまったく拙劣なできでした. それ以来,書くことに関してはひとつ論文を書くごとにすこしずつきたえられていきました. しかし,ほんとうは集中的に writing の訓練をしたほうがよかったでしょう.

まわりのひとに読んで意見をもらったりしましたが,まわりも日本人ばかりだったので,あまり英作文がきたえられたとはいえません. 論文を投稿する際には英文添削はかならずうけていました (いまでもうけています) が,これはぜひ,うけたほうがよいでしょう.

読むことに関しては,独学ですが,もっと集中的にきたえてきました. ひとつの分野をずっと研究していれば,一度に多数の論文を読む必要はあまりないかもしれません. しかし,私のばあいはときどき分野のちがうところにでていったので,そのたびごとに,おおくの論文や標準化ドキュメントなどを読む必要がありました.

それでも,2005 年くらいまでは,別の分野にうつったときは半年くらいかけて論文をあつめて読んでいました. そのため,1 日 1 つの論文が読めればよいとかんがえていました. それがかわったのは 2006 年でした. 翌年はなんの仕事をすることになるかわからないので,1 年間で相当量の仕事をするように自分できめて,必要な論文を 1~2 週間でスクリーニングしました. 印刷した論文は数 10 であり,1 日にすくなくとも 3 つはかたづける必要がありました (机のうえが論文だらけなので,整頓するように注意されたことも 1 度ではありません). 要旨だけ読んですませるものもありますが,印刷したのは内容をしらべるためなので,基本的にはなかもみる必要があります.

その後,(不幸なことに) 何度かこういうことをくりかえしましたが,最近もまた,おなじようなことをしています (ほんとうは,もうすこしひとつのテーマをじっくり研究させてもらえるとよいのですが…). 分野がかわるといっても,それほどとおくにかわったわけではなくて,いずれもネットワークやソフトウェア関連の論文です. しかしそれでも,これだけ何回もレパートリーをひろげても,まだほんの一部の論文しかカバーできていません. おなじ分野でも数年たつと論文が山のようにつみかさなるので,しばらく目をはなしていると,またおなじようなことをしなければならなくなります.

研究者であり,タコツボからでようとするかぎり,こういうことを一生くりかえさなければならないでしょう. でも,こういう仕事をたのしむことができるようになりました.

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キーワード: 文章法

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