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仕事と起業, 知的生産とリテラシー:作文・文章技法・添削, 文化・教育と学習, 知的生産とリテラシー

日本の会社では文章をよまない・かかない悪習がある

私が仕事をしていて腹のたつことのひとつは,私が一生懸命書いた文章をよむひとがすくないということです. 社内でも協業他社でも,もとめられるのは説明文ではなくてパワーポイントの資料です. 一生懸命,絵をかくことがもとめられます. たしかに図は短時間で把握するのにはよい. しかし,図をつかっても論理をきちんとかくことはできませんし,なによりも文章よりかくのに時間がかかります. 時間がかぎられているから,論理をきちんと記述する必要があるからといって文章でかいたものを,よまずにすませるなどということがあってよいのでしょうか. また,論理をはっきりさせるべきところを書かずにすませるなどということがあってもよいものでしょうか.

日本では学校からして,文章を読んだり書いたりする訓練が不足しています. アメリカなどとはおおちがいです. 論理を理解するための訓練もおこなわれていません. 最近は 「論理思考」 に関する本がけっこう売れていたりしますが,そんな本を読むのは私はバカですといっているようなものではないでしょうか? そんな訓練は,おとななら,当然,すでにうけているべきものです.

文章をよみかきするには論理的思考が必要であり,それにもとづいて,さらに表現したり理解したりするための訓練が必要です. 社会にでてから口頭での説明だけでたりるわけはないので,これらの能力は当然,それまでに訓練されていなければなりません. にもかかわらず,それができていないので,日本の会社ではそれなしに仕事がすすむようなしかけをつくっているようにおもわれます.

書かないことによって,あるときはかえって効率的に仕事がすすむのですが,効率がわるいことのほうがおおいとおもえます. すくなくとも,文章できちんと書いたものをよまずにほうっておくとか,きちんと書くべきところをいいかげんなパワーポイントの資料でごまかすようなことがあってはならないとおもいます. しかし,現実にはそういうことが日常的におこなわれています. 文章だけで書いたものはよまなくて当然というような風潮すら感じます. (それは私がつとめている会社だけのものでしょうか?)

こういうことに対して抗するべきだとおもいますが,あまりにひろくおこなわれているので,どのように対処していくべきか,なかなか容易ではありません. すくなくとも私自身は必要な文章は (読まれないおそれがつよくても) 書くようにしたいとおもっています. もちろん,書いた文章がどうすればよりひろく読んでもらえるかはかんがえ,くふうするべきでしょうが…

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