Newsgroups: tnn.interv.ngo-npo Path: trc.rwcp!rwc-tyo!news.iij.ad.jp!vcmei!ced.mei!chorus.mei!oskgate0.mei!odins-suita!aist-nara!wnoc-tyo-news!spinnews!newssv1!news From: NRG58610@pcvan.or.jp Subject: [NGOs] 3.1 KOBE KARANO HOUKOKU 1/2 Sender: news@newssv1.pcvan.or.jp (NetNews System) Message-ID: Date: Fri, 3 Mar 1995 00:38:58 GMT Nntp-Posting-Host: isd-gw.pcvan.nec.co.jp Organization: PC-VAN, Japan. Lines: 109  たこ姫@ただの人 です(毎回これをやるんかいな)。  以下は、3/1に神戸で行なわれた「神戸からの報告」という報告会の報告です。 私は主催者とは何の関係もない単なる傍聴人で、自分のメモと記憶をたよりに再構成 しました。??は、発言者の名前が聞き取れなかったり、本人が名乗らなかったりし たりしたためです。発言のニュアンスが違うとか、私が思い違いをして意味を取り違 えているとかあるかもしれません。そのへんはご了承ください。                        報告者:たこ姫 PC-VAN:NRG58610 ============================================================================         シンポジウム「神戸からの報告」                 日  時 :3月1日 13−17時                 場  所 :神戸YMCAチャペル                 主  催 :阪神大震災地元NGO救援連絡会議                 参加人数 :約100人                 司会・進行:吉村+大村 ◆シンポジウムの主旨 吉村:長田区でボランティア/アジア・オープンワイズ  震災に遭った1/17からきょう(3/1)までを振り返って何があったのかを、 被災者・行政・ボランティアそれぞれの立場から報告し合い、資料として残すために、 本日のシンポを企画した。批判し合うのではなく、互いに勉強しよう。客席から遠慮 なく発言してほしい。 ◆1/17−19:震災とその直後にあったこと 上田:兵庫区で被災/歩行障害者  わたしは市営住宅で被災した。ベットと本棚に挟まれたまま、近くの友人に助け出 されるまで、2時間動けなかった。  最初は寝るところもなく、ずっと車椅子に座ったままだった。避難所には車椅子で 使えるトイレがなく、3日間飲まず食わずで過ごした。 草地:ボランティア/神戸NGO協議会/阪神大震災地元NGO救援連絡会議  わたしは北区の北鈴蘭台に住んでいる。ここでは渦巻のような揺れだった。最初の 数日間は、知人や職場の人たちの安否確認に駆け回った。たいへんな災害なので、多 くの人々が救援に駆けつけることが予想され、そのための連絡・調整の必要を強く感 じた。海外のNGOからは、”地元”のグループとして活動すべきだという助言をも らい、19日から地元NGO救援連絡会議の立ち上げの準備をした。 藤田:中央区・灘区でボランティア/ADRA  ADRAは85年以来、海外で援助活動をしてきたが、国内の救援活動は今回が初 めだ。  19日に、ワシントン本部から人員が派遣され、予算規模1000万くらいの救援 活動をすることにした。新聞でボランティアを募集し、1週単位で50人を現地に送 り込み、春日野小・福住小などで、味噌汁の炊出し、赤ちゃんのミルク・ブルーシー トの配布等を行なった。他、家屋の診断士も派遣した。 寺本:中央区で被災/雲中小避難者のリーダー  被災直後は頭の中は真っ白で、何も考えることができなかった。日が昇って、よう やく食糧の確保、親戚の安否確認に走った。  わたしたちが避難した雲中小には、当初約2000人の避難者がいた。自治組織を 作らなければならないと思い、2日目までに各部屋の代表とサブ、フロアーの責任者 を決めた。それから食事・美化・夜警等の担当者を決めていった。 尾崎:ボランティア  わたしは吹田市で地震に遭った。2時間ほど停電したが、その後、テレビの報道で 惨事を知り、バイクに積めるだけの水・おむつを積んで現地に向かった。道路はクル マ、人、自転車が溢れていたが、殺伐とした雰囲気はなく、非常に静かだった。  現地では、他を思いやる被災者たちを数多く目撃した。自分の井戸が無事だったの で、「自由に使ってください」と貼紙をしている人、なけなしのご飯でおむすびを作 り、「自由に食べてください」と呼びかける老夫婦、・・・。しかし日を経つにつれ、 その雰囲気も変わっていった。 キム・ヒョウ:長田区で被災/在日韓国人  わたしは被災後、明るくなるまで待って、バイクで親戚・同胞の安否確認に回った。 途中、潰れた家から何人かの人を救出した。しかしそればかりやっていると、安否確 認ができない。時間を区切って、また走り始めた。道中、人がまだ埋まっているとわ かる家の前をいくつも通り過ぎなければならなかった。助けたいが、まず人捜しを優 先しなければならなかった。事態は誰も同じだった。  夕方、ローソンで割れたガラスケースに手を突っ込み、食べ物をパチッた。朝から 何も食べていなかったから。夜は勤労会館に上がり込み、持ってきた毛布にくるまっ て寝た。 18日、物資が届いた。しかし人手がないので、炊出しができない。別の 場所に物資を送り、炊出しをしてもらった。  19日からはごっつい鍋を吉村さんから借り、自分たちで炊出しを始めた。きょう までに1万食以上作った。 ??:外国人被災者  情報はすべて日本語だったので、全くわからなかった。震災後、日本人が急にフレ ンドリーに接してくれるのが、不思議だった。震災前は、わたしたちにはほとんど注 意を払わなかったのに。  赤紙の貼られた危険家屋に老夫婦が住んでいたりする。彼らは、他人に助けを求め ないという自負を持っているようだ。厳格な被災者調査が必要だ。 大村:垂水区で被災/長田区でボランティア/大村グループ  住んでいる団地は地震の後、すぐにガス臭くなった。わたしはどこの家が元栓を締 めていないのか、調べに回った。初めてコミュニケートする人、初めて会う人。パシ ャマのまま、おびえている一人暮しのおばあさんを見たとき、わたしは独居老人の問 題は今後きちんと考えていかなければならないと思った。  それから長田区に向かった。ガソリンスタンドに行列ができていた。ガソリンがな くなるという噂がたっていたのだ。  被災直後の3日間は、至る所に行列ができた。なかには何のための行列か知らない で並んでいる人もいた。 ??:北区で被災/神戸市職員/救援ボランティアの受付担当  自宅は激しい横揺れでほんとうに恐かった。8時半すぎ、公務員である夫をクルマ で東灘に送った帰り、ラジオ関西が「公務員の方はなるべく早く出勤してください」 と放送しているのを聞いた。わたしは母親と同居していたので、どこに疎開させるか で手間取り、すぐには出勤できなかった。  市の災害対策本部は18日未明より24時間態勢でボランティア対応の窓口を開き、 わたしはそこに配属された。5台の専用電話がずっと鳴りっぱなしだった。                                  (つづく) Newsgroups: tnn.interv.ngo-npo Path: trc.rwcp!rwc-tyo!news.iij.ad.jp!vcmei!ced.mei!chorus.mei!oskgate0.mei!odins-suita!aist-nara!wnoc-tyo-news!spinnews!newssv1!news From: NRG58610@pcvan.or.jp Subject: [NGOs] 3.1 KOBE KARANO HOUKOKU 2/2 Sender: news@newssv1.pcvan.or.jp (NetNews System) Message-ID: Date: Fri, 3 Mar 1995 00:39:15 GMT Nntp-Posting-Host: isd-gw.pcvan.nec.co.jp Organization: PC-VAN, Japan. Lines: 185 ◆1/20−:震災4日目以降 長井:外国人向けボランティア  日本語が多少話せても読むことができないという外国人は多い。マスコミに外国人 向けの放送をしてくれるように依頼したが、断わられた。そのため、独自に5カ国語 によるホットラインを設置した。  22日、日頃から外国人向けのボランティアをしているグループと集って協議した。 これまでは横の連絡が悪かったので、つながりを作り、情報の共有化を図った。そし て住宅問題はどこ、法律はどこ、とそれぞれのグループに役割を振り分けた。一般に、 情報が大事という認識が足りない。 ??:長田区でボランティア/21世紀地球のナントカ  ぼくたちは5日目に長田高校に入った。そこにはすでに北海道から来たボランティ アがいて、献身的に働いていた。何か手伝うことはないかと申し出ると、ブタ汁の炊 出しをするからじゃがいもの皮剥きをしてほしいと言われた。ぼくたちはしばらく皮 剥きをしたが、慣れないのでなかなかはかどらない。そこで被災者に「手伝ってくれ ませんか?」と呼びかけた。するとすぐに、数人の主婦が応じてくれた。そのうち、 中華屋の主人が大きな包丁を持ち出してきたりして、盛り上がった。  ボランティアのなかには、被災者と一線を画そうとする人がいる。質の伴ったボラ ンティアの供給・組織づくりが必要だ。 寺本:中央区で被災/雲中小避難者のリーダー  被災者は自立すべきだ。できるだけ被災者自身の手でやりたい。できないところだ け、ボランティアにサポートをしてほしい。たとえば高齢者や身体障害者の介助など。  しかし現実には、被災者は平和と物質的な豊かさにどっぷり浸かっておかしくなっ ている。ある避難所で風呂を借り切って、ヨソの被災者といっしょに入ったところ、 「なんでヨソのヤツといっしょなんや?」とか、「こないだの入浴サービスはタオル ・石鹸から下着もくれて、うどんも出た。今度んとこはサービスが悪い」とか文句が 出る始末。人はどうしても損得勘定が出てくるので、それを抑えなければならない。 大村:長田区でボランティア/大村グループ  どうして雲中小では自治がうまくいっているのか? 寺本:中央区で被災/雲中小避難者のリーダー  組織のタテの筋をきちんとしようと努めたからだろう。タテがうまくいけば、おの ずとヨコもできてくる。混乱を避けるため、ボランティアもADRA1本にした。1 度ヨソのボランティアに荷物の運び出しを頼んだところ、連絡が取れないというトラ ブルが生じた。初めてくる人には、気楽にやってくださいといつも言っている。 ??:ボランティア  避難所では、避難者/ボランティア/先生が話し合うことを避けようとする傾向が あるように思う。 福崎:ボランティア  避難所によって気風がさまざまだ。ドケドケしい雰囲気の避難所があるのはなぜだ ろう?  20日すぎてから物資がだいぶ届くようになった。すると、物資の配給が問題にな ってきた。足りない物資は配れないということで、バナナを腐らせたという話を聞い た。せっかくの配給を腐らせるという対応はおかしい。  わたしたちも、被災者100人に対してリンゴ20コ、という事態に直面した。わ たしたちはリンゴが20コしかないことを告げて、被災者自身ににリンゴを託した。 リンゴを細かく切って分ける人もいれば、自分はいらないと人に譲る人もいた。 ??:垂水区で被災/避難所でボランティア  垂水区はNGOも外からのボランティアも全然来ない。県からは来るが、市からは 誰も来ない。ボランティアはまず兵庫県の人がすべきで、特技ボランティアなど人手 の足りない部分だけ外から受け入れるべきだ。  わたしが避難した県立高校は場所を貸すだけで、いっさい手伝わないと言明した。 おかげで、自治がしっかりできた。自治がうまくいったもう一つの理由は、顔見知り の地域住民ばかりが避難したからだ。行政は、杓子定規に避難所を割り当てるのでは なく、地域住民が最寄りの避難所に集まれるように考えてほしい。 山田:東灘区で被災/洗濯ボランティア/ハレハレランドリー  東灘区は1000人以上の死者が出た地域で、わたし自身も親しくしていた友だち 一家を亡くし、とても悲しかった。  主婦である自分にも何かできることはないかと思い巡らすうちに、洗濯に困って下 着を捨てるという話を聞き、洗濯ボランティアをすることにした。初めて避難所の小 学校に飛び込み、「洗濯をやらせてください」と呼びかけたときはヘンな顔をされた が、やっぱり需要はあった。なかには7日間履き続けたパンツや下痢で汚れたパンツ を出してくれる人もいて、見ず知らずの自分にそんなパンツを洗わせてくれることに 感動した。  同じマンションの人が洗濯を手伝ってくれたり、ヤマギシの人が水汲みをしてくれ たりして仲間も増えていった。洗濯物を出すおじいちゃん・おばあちゃんがわたしが 来るのを楽しみにしてくれること、洗濯を通して心のふれ合いができることがとても いい。  しかし、そのうち朝の7時半から夜中の12時まで洗濯機を回し続けてもやりきれ ないほどの量になってしまった。もっと洗濯機がほしい。もっと干し場があったら。 家電メーカーに洗濯機の提供を依頼したら、2時間後にOKの返事が返ってきて、小 学校もプールを干し場に提供してくれた。ヤマギシからはタンク車が応援に来たり、 電設工事・水道工事もやってもらったりした。 ??:医療ボランティア/長田支援ネットワーク  当初、地元の医師が個人でかけずり回って活動していたが、1箇所に集める方が効 率的と判断し、地元医師会を通して、NHKに呼びかけてもらい、集団化した。ここ にきてようやく歯車が回るようになった。  長田区では、独居老人が危険な家屋に住み続けるというケースが数%あり、こうし た人たちを十分ケアしていきたい。看護福祉や訪問看護につなげていかなければなら ない。 吉村:長田区でボランティア/アジア・オープンワイズ  震災4日目から物資とともにボランティアも入って来るようになり、救援活動が本 格化した。しかし被災者はあまりにも情報を知らなすぎたようだ。 大村:長田区でボランティア/大村グループ  被災者は救援活動がされていることすら、知らなかったのではないか。 山本:長田区で被災  行政の人が訪ねてきてくれたことはなかった。だから、ボランティアが情報を持っ てきてくれたり、話し相手になってくれたのがよかった。 前沢:灘区でボランティア  西宮市在住の神戸大生。1月末、避難所になっている保育園でボランティアをしよ うとしたが、足りていると断われた。その後、灘区役所に行ったが、どこに行けば何 ができるかわからず、結局、仲間と独自にボランティアチームを作ることにした。し かし、神戸大では事務所が借りられず、苦労した。電話と部屋さえあれば。 ??:神戸市職員/救援ボランティアの受付担当  神戸市は1/22までに7000名のボランティアを登録したが、ボランティアの 仕事は各セクションが割り当てるので、わたしたち受付担当では受給調整ができない。 「現場に行って、自分でできることをしてください」と言うしかなかった。当初、職 員は食糧の確保、遺体の火葬手続き、防災計画で公認していない避難所の把握で忙殺 され、ボランティア対応が十分できなかった。加えて、電話でいちいち連絡をとる作 業にも手間取った。そのため22日以降、募集を一端中断したが、それが「神戸市は ボランティアを断わった」と受け取られ、ご迷惑をかけた。  登録制度を採ったことにはいろいろ批判があるが、バイク隊を編成し、輸送手段を 確保できたのは意義があった。  その後、市は物資の輸送を業者に依頼するようになったため、ボランティアの仕事 がなくなった。しかしそれでも何かやらせてほしいという要請があり困った。受給調 整ができないのが問題だ。セクションごとに登録する必要がある。 ??:兵庫区・長田区でボランティア/ちびくろ保育園/セイクレッド・ラン  セイクレッド・ランでもバイク隊を編成し、1/19、20日、障害者の安否確認 とケアした。たまたまNHKの兵庫区の避難所情報を聞いていると、「**駐車場」 「**遊歩道」という名称が出てくるので驚いた。翌日バイクで回ると、駐車場や遊 歩道でテント生活をしている被災者に行き会った。行政が取りこぼしている人がたく さんいる。  わたしたちがケアすべきなのは大きな避難所ではなく、小さな所だ。いまだにテン ト生活をしている人がいる。自分で泊まる場所を確保できるボランティア人なら、何 人でも来てほしい。 安藤:長田区でボランティア/ピースボート  神戸市は現在、”復興計画”の名の元に、強引に再開発を進めようとしている。計 画によると、森南地区では国道2号線と43号線に結ぶバイパス道路を斜めに建設す るため、地域のコミュニティが破壊される。これは震災前に作成された計画を”復興 計画”と称して出してきたものにすぎず、市民の声は全然反映されていない。非常立 法では主権者の権利が制限されるため、今月半ばに議会に提出されると、もう止める ことはできない。この案を通すために、市の職員が長田区に火を点けて回ったという ブラックユーモアがあるくらいだ。  ボランティアはいいことをして気持ちよくなるだけでなく、その街の真実を知り、 これからの街づくりに自分はどう関わればいいか考えるべきだ。この場がそうした方 向に進まないで単なる報告会に終始するなら、意味はない。 吉村:長田区でボランティア/アジア・オープンワイズ  わたしも「復興計画」には問題があると思っている。しかし市に対して挑発的なこ とを言うだけでは仕方がない。何をすれば対抗できるのか考えなければ。 大久保:ボランティア/フラワーテント  安藤さんの意見に賛成だ。わたしたちは被災たちの考える場にしてもらおうと、ス テージを作った。これまではギターの弾き語りばかりだったが、3/7には「今後の 神戸を考える」というシンポジウムを開く。そこでの発言はすべて文書化し市に提出 する。 安藤:長田区でボランティア/ピースボート  神戸市の自治会は、会長が通常20くらいの役職を兼任する、いわゆるボス支配に なっている。したがって、行政が出してくる計画に会長が反対することはない。森南 地区はその慣習を変えて、自分たちで街づくりを考えている自治会だ。  われわれはまず、今何が行われようとしているのか情報を流し、死んでいる自治会 を立て直さなければならない。 吉村:長田区でボランティア/アジア・オープンワイズ  反対者をグループ化するだけではダメだ。どういう動き方をすればいいのか、逆算 して方法論を練る必要がある。 安藤:長田区でボランティア/ピースボート  時間がない。デッドラインは3月半ばだ。 草地:ボランティア/神戸NGO協議会/阪神大震災地元NGO救援連絡会議  行政機構においては、復興計画はまず主査・係長・主任が原案を練り、それを課長 補佐・課長が推敲し、それを緻密な稟議を経て、提出していくシステムになっている。 対抗的な態度に出ると、行政は保身のために余計かたくなになる。  必要なことは、その事柄に専門的な知識を持った人が声を上げ、対案を作ることだ。 そのためのステージはあればあるほどいいが、そこで出た声をすべて市に提出する必 要はない。むしろ、都市計画や経済学の研究者・学者を巻き込み、市民のさまざまな 声を理論化・政策化していくべきだ。そうやって、10のうち1つでも市民が原案を 出せればいいのではないか。 大村:長田区でボランティア/大村グループ  安藤さんのようにどんどん先に行ける人もいれば、わたしのように一つ一つ確認し なければ前に進めない人もいる。悠長に見えるだろうが、これまでのことを確認する 作業は大切だと思う。だから、来週3/8 13時から同じ場所でこの続きを行う予 定だ。                                    (了)