From: =?ISO-2022-JP?B?GyRCOm47MzRuPSkbKEI=?= Newsgroups: tnn.interv.disaster.network Subject: 企業ボランティア活動 (その 1) Message-ID: Date: 16 Jan 1996 04:51:00 +0900 作山@CSKです。  私はCSKの企業ボランティア(CSK震災復旧支援プロジェクト)と して昨年の2月から4月末日まで「兵庫県震災ネット」の運営事務局を担当 しました。  5月からは会社の現場に復帰しましたが、当時いろいろな方々と一緒に 活動した経験を何等かの形で後世に残そうと思い、私の知っている範囲で の情報ボランティアにかかわった人々に声をかけ、「提言」の形にまとめる ことが出来ました。  この度、慶応大学の金子さんから、我々の活動内容を書き込むよう依頼 がありました。私も今の仕事がことのほか忙しく、なかなか書き込む時間 がとれないのが現状ですが、企業人としてボランティア活動をした経緯や その時どんなことを考えていたのかを出来る範囲で書き込んでおこうと思 います。  どの程度書き込めるか自信がありませんが、時間を作って書き込んで行 きたいと思います。 今日はその1回目です。 【第1話】 CSK震災復旧支援プロジェクトの発足  私は震災当時、CSK西日本事業本部で事業開発室を担当していました。 CSK社員が阪神地区に300名ほどおり、社内の災害対策本部として被 災した社員の支援を担当しておりました。どたばたとその対応に追われて いましたが、「いわゆる社会的な活動を会社としてすべきではないか」とい う漠然とした思いが私の心の中に浮かんできました。CSKは独立系情報 処理会社であるので、被災企業のコンピューターシステムの復旧をしよう と考えました。特に、被災したとはいえ大手企業はそれなりに体力がある し、また、付き合いのあるコンピューター会社がいわゆる顧客対応として 救援活動をしておりましたので、中小企業を中心として救援をしようと考 えました。  そこで、私は震災後の平成7年1月26日、CSK大川会長が来阪した おり、システム復旧を支援する目的での「CSK震災復旧支援プロジェク ト」を興すことを、直接、提案しました。  答えは、「わかった、おまえがやれ!」。私はその日から、事業開発室室 長代行の任をとかれ、CSK震災復旧支援プロジェクトのプロジェクトリー ダーとして活動を開始しました。  ここで、企業ボランティアについてコメントします。  私企業が、まったくボランティアだけのプロジェクトを興すことは実際 は非常に難しいのが現実でしょう。事実、私の場合も、元々の計画は正直 なところ100%ボランティアではなく、いわゆる「復興ビジネス」をある 程度意識した計画にしておいたのは事実でした。そうでなければ、なかな か社内の合意は得られないとの判断からです。  ビジネスとのかかわりについては、 ********* 2)ビジネスとの関り合い   あくまでも救援(義援)を第一義とする。   顧客の要望で営業案件に発展する場合には担当営業部門や他社の所管 部門へ引き継ぎ終了する。 ********* という言い回しで社内説明を致しました。  いずれにせよ、私は最初に直属の上司である事業本部長へ相談し賛成し てもらいました。その後、その上の相談役へ相談し、大川会長の承認をも らいました。私は、会社の承認を取り付けたことで、後顧の憂いなくこの プロジェクトに全力を尽くすことが出来るとその時確信しました。  CSKグループ内から、調整能力のあるもの、中小企業診断士の資格を 持つもの、システムやネットワーク関連のプロなど各部門、関連会社の協 力をいただきメンバーがあっという間に集まりました。トップの承認をも らっていたからこそです。  ちなみに、メンバーは水上(技術開発本部)、三木谷(本部長付)、藤 井(技術推進室)、藤岡(事業開発室)、枇杷(共同VAN株式会社)そ して私の6名でした。こうして、CSK震災復旧支援プロジェクトは平成 7年2月1日スタートしました。                            (つづく) --- From: =?ISO-2022-JP?B?GyRCOm47MzRuPSkbKEI=?= Newsgroups: tnn.interv.disaster.network Subject: 企業ボランティア活動(その 2) Message-ID: Date: 17 Jan 1996 06:37:00 +0900 作山です。一年が経ちました。今日は第2回目です。 【第2話】 システム復旧110番  震災復旧支援プロジェクトが中小企業のシステム復旧を主目的として発 足したことは前回申しあげました。具体的活動は、「システム復旧110 番」と称して無償でシステムの復旧を請け負うこととしました。無償の範 囲は我々プロジェクトメンバーの人手で出来る範囲に限定しておこなうこ ととしました。もし、ハードウエアの調達の必要が発生する場合にはそれ はそれで出来る範囲で考えようということでスタートしました。  震災復旧支援プロジェクト発足の記事は、2月1日に東京で広報を通じ て記者発表を行い、翌日、2月2日全国版6誌、読売、毎日、日経産業、 日刊工業、日本工業、電波新聞に掲載されました。その記事の中で、「シ ステム復旧110番」の設置は報じられたものの、実際には、パソコンの 無償提供の申し出がわずかにあっただけで、本来期待したシステム復旧の 依頼は皆無でした。  この理由は、1)震災直後の状態ではシステムの復旧より従業員の身の安 全や日々の生活の方が優先事項であったこと、2)我々は無償で復旧支援を 行うことを明確にしてアピールしたのだが、「無償」がかえって懐疑的にう けとられたなどの理由によると思います。。  一日経ち、二日経ちしても「システム復旧110番」には電話がかかって こないので正直なところプロジェクトリーダーの私は焦りを感じていまし た。そこで、とにかく中小企業のシステムの被災状況を把握するために現 地調査を実施することにしました。ただし、闇雲に中小企業を訪問して、 「システムの被害状況はいかがですか?」と聞いて回ったところで、「なん やねん」といぶかられるだろうし、また、被災者の方からみれば、「どさく さにまぎれて変な商売を始めた」などと被害者意識も手伝って事実と異なっ て受け取られる恐れもありました。そこで、同業者であるソフトハウスに 業種を絞り、かつ、あまり救援の色を出さずに調査することにしました。  阪神地区のソフトハウスのかなりの数が神戸三宮周辺に集まっており特 にその打撃は大きかったようです。メンバーと手分けして62社のソフト ハウスに電話をかけ、そのうち23社を直接訪問して被害状況を聞かせて もらいました。その結果、当時の状況では、まったくシステムが機能しな くなってしまったところ(経営をどうするかのほうが当面の問題)とどう にか営業にこぎつけている状態と両極端な状態でした。いずれにせよ、そ の時点では、経営的な問題が優先している状態で、我々の「復旧110番」 へ復旧支援を依頼してくるケースが少ないことがわかりました。  また、当時、ラジオで被災住民向けの生活情報を流していました。そこ で、神戸市災害対策本部からNHK生活情報放送センターを紹介して頂き、 NHKラジオ第1放送、2月11日(土) 午後5:30から「復旧110番」について 情報を流してもらいました。  以下、放送された内容(言葉通り)を示します。 『今回の震災で会社のコンピューターが故障したりうまく動かないなどで 困っている企業があると思います。  CSKとそのグループでは企業のコンピューターの故障に関する相談に 応じています。ハードウエア、ソフトウエア全般の相談とともに場合によっ ては係員を派遣し調査やアドバイスを行います。  電話は、フリーダイアル 0120-88-2855、0120-88-2855、株式会社CS Kです。  受け付けるのは月曜から金曜までの午前9時から午後5時までです。月 曜から金曜まで、午前9時から午後5時まで受け付けます。なお、CSK の相談窓口は大阪の駅前第3ビルにあります。』  あわせて各商工会議所の知人のつてを頼って阪神地区の商工会議所会員 の企業に対してもアピールをしましたがやはり「復旧110番」への依頼は ありませんでした。                            (つづく) --- From: 作山喜秋 Newsgroups: tnn.interv.disaster.network Subject: 企業ボランティア活動(その3) Message-ID: Date: 25 Jan 1996 02:24:00 +0900 作山です。第3回目です。 【第3話】避難所にパソコンが配られるって?  2月の半ば、パソコンネットワーク上で、200台のパソコンが避難所 へ配られる(当時、『パソコン通信を利用した情報提供システム』とよば れていた)という情報が流れました。実際には2月の初旬に既にその噂が ネットワーク上で流れていたようでしたが、我々がその情報をキャッチし たのは2月の15日頃でした。それまで私自身は熱心なネットワーカーで もなかったし、また、我々のメンバーもそれ程パソコン通信を日常的にやっ ていたというわけでもなかったため、情報のキャッチが遅れてしまいまし た。  Niftyで流れた情報から兵庫県企画部企画参事の榎本課長補佐(当時) がその担当であるということがわかりました。そこで、2/17(金)に、メン バーの三木谷・枇杷に兵庫県を尋ねさせ、あわせて是非手伝わさせて欲し い旨申し入れをしました。  兵庫県から戻ってきた三木谷・枇杷の報告を聞き、私はこれこそが我々 の力を発揮できる仕事であると直感しました。なぜならば、このパソコン の運用に関してはボランティアを主体にして行うことになっていましたが、 それらをコーディネートする要員は十分ではありませんでした。このまま では、単にパソコンが避難所に配られるだけで、ほこりをかぶって放置さ れることは目にみえていました。とにかく、早期に立ちあげるためには、 この立ち上げに専従できる我々のような部隊が必要であると意を強くしま した。  我々がこのパソコン配布のプロジェクトに参画することがいいのか早急 に判断しなくてはなりませんでした。私は2/17(金)の夜、私はメンバーに Niftyの震災ボランティアフォーラムのLOGをすべてダウンロード・印刷 の指示をしました。そして、出力されたLOGをメンバーで分担して読み、 当時既に活動を行っていた情報ボランティアの現状の把握に努めました。  私自身がパソコン通信に対してそれ程経験がなかったことも手伝って、 当時のネットワーク上での議論はまるでボランティア同士の縄張争いある いは活動の主義主張の違いを論ずる修羅場のように私には見えました。し たがって、我々の活動自体が、「企業の売名行為」などとネットワーク上で 揶揄されはしまいかと悩みました。  一方、既に指摘したように計画通りに進めるためにはかなりのワークを 行わない限り立ち上がらないのは誰の目からも明らかでした。当時の兵庫 県サイドには人も十分といえる状況ではなく、一気呵成にことを進めるた めのパワーが必要なことも明らかでした。ここは我々が行政とボランティ アとの中間のポジションで全体を立ちあげていくのが一番と判断しました。 2/20(月)の16:00、私は初めて兵庫県の企画部企画参事の榎本課長補佐( 当時)と落合主査と会い改めて協力の申し出をしました。震災後、1ヶ月 が過ぎてからのことでした。                            (つづく) --- From: 作山喜秋 Newsgroups: tnn.interv.disaster.network Subject: 企業ボランティア活動 (その4) Message-ID: Date: 27 Jan 1996 07:35:00 +0900 作山です。第4回目です。 【第4話】震災ネットの立ち上げ開始  2月20日(月)の時点で、既に避難所へのパソコン配布は開始されていま した。どの機種がどの避難所へ配布されたのかは判っていたものの、配布 されたパソコンが実際にどのような状態になっていたのかは誰も判ってい ませんでした。  そこで、配布されたパソコンの現状把握が先決であるとの判断からパソ コンの現状調査を行うことにしました。この調査を開始するにあたって我 々は、ボランティア団体であるIVN(Inter Volunteer Netwrok)と連携 するため調整に入りました。すでに、IVNは兵庫県企画部企画参事とコ ンタクトしており、今回のプロジェクトをサポートすることを申し出てい たのでした。  その翌日、IVNの兵庫県との交渉窓口である鉄本さん(当時、名古屋 在住)と電話でコンタクトを取り、避難所へ配布したパソコンを協力して 立ちあげることで合意をしました。さしあたっての活動としては、避難所 へ配布したパソコンの現状調査を翌日の2/22(水)から行うこととしました。  2/22(水)の朝、IVNパソコン通信サポートチーム(別称;川村班)の 代表である川村さん(現、神戸電子専門学校)と我々メンバーは阪神御影 駅で待ち合わせ、避難所を手分けしてまわりました。各避難所の責任者に 面会し、パソコンの設置状況、回線の状況、管理者の状況、パソコン通信 の必要性などを聞いてまわりました。震災から約1ヶ月後でありながら、 まだまだ現場は混乱を極め、中にはパソコンが配布されたことすら伝わっ ていない避難所やパソコンが避難所の片隅に追いやられて梱包がとかれて もいないケースなど様々でした。「こんなもん役に立たないから持ってか えってくれ」とか「置き場所がないから邪魔だ」と露骨に言われるケースも ありました。避難所の運営は、避難所に避難している方々、ボランティア の方々、そして、避難所となった学校の職員とで行っているのが一般的で したが、それぞれの避難所でそれぞれの代表者によってパソコンの受け入 れられ具合は様々であったことが印象的でした。  当日の私の日記には、「2ラウンドした感じ」と記してありました。各メ ンバーには携帯電話を持たせ、お互いに調査の進捗状況を確認しあいなが ら、日没まで避難所を歩き回りました。日もとっぷり暮れるころ、メンバー は阪神御影駅に集合し、駅二階の喫茶店で、その日に収集した情報を持ち より一日を締めくくりました。メンバーの頑張りと携帯電話のお陰で初日 に26箇所の避難所を回ることができました。                            (つづく) --- From: 作山喜秋 Newsgroups: tnn.interv.disaster.network Subject: 企業ボランティア(その5) Message-ID: Date: 28 Jan 1996 14:11:00 +0900  作山です。  当時のメールやパティオのLOGをあれこれ見ていました。改めて、数 多くの人々に協力していただいたと驚いています。 さて、今日は第5回目です。 【第5話】パソコン巡回指導  震災ネットを立ちあげる上で一番時間がかかったのは、パソコン通信の やり方を避難所の方々に教えてまわったことです。  パソコンが配布されたとほぼ同時にパソコンの実態調査を行いましたが、 多くの避難所ではパソコン通信ができる人は皆無の状態でした。そこで、 パソコン通信とはどんなものか、パソコン通信でどんなことができるかを まず教えてまわる必要がありました。幸いにも調査時に「ボランティアを 派遣してパソコン通信について講習会をします」と申し出ると多くの避難 所は好意的でした。  短期間で講習会を実施するためには、とにかくパソコン通信を理解して いる人を集めなくてはなりません。そもそも、今回のパソコンの日常的な 運用は「ボランティアの協力の元に行う」という主旨でしたので、現地の 情報ボランティアであるIVNのパソコン通信サポートチームとの連携を 主として考えました。しかしながら、それでも、指導してくれる人が絶対 的に足りません。そこで、このプロジェクトに参画する意志を自分で固め た時点でCSK労組の中野副委員長(当時)にパソコン通信の指導を次回 の土日に行うので協力してくれないかと頼み込みました。うちの会社の若 い連中にはパソコン通信でボランティアをと考えている社員が結構いるの ではないかと思ったからです。中野さんからは、二つ返事で協力を取り付 けることができました。  第1回目の巡回指導(指導という言葉は好きではありませんが)は 2/25(土)に行いました。本部は、大阪の駅前第3ビル(CSK事務所)に 置き、全体の指揮にあたりました。巡回指導は、2〜3人で1チームを組 んでもらい、1チームが一日に2箇所を回りました。それぞれのチームに は、携帯電話、Nifty、PC-VAN,Peopleの操作マニュアル、簡単な訪問マニュ アルを持ってもらいました。この日、巡回指導した避難所の数は16箇所 でした。  今回のパソコン配布は震災が起こってから急遽計画決定したもので、パ ソコンの調達から配布という正常時でも時間や手間のかかるフェーズをや らなければなりませんでした。それも、短期間にやらなければ、パソコン 通信による情報提供ができる期間がますます少なくなってくるという厳し い状況でした。  この時の経験からいえることは、2点あります。  まず、第1の点は、普段から避難所に想定される施設にはパソコン通信 ができる機器が普段から配置されているべきということです。今回のよう に災害が発生してからパソコン配布というのは基本的にはありえません。 今回の阪神大震災が未曾有の大災害であるがゆえの特例です。  第2の点は、パソコン通信ができる人が少ないということです。たとえ ば、学校の職員あるいはその校区の地域住民、あるいはそこにつめている ボランティアの方のあるパーセンテージの方がパソコン通信ができるべき であると思います。ちょっと、本題からそれるかもしれませんが、私は、 「パソコン通信をサポートするボランティア」というのは、いかにも現在の 日本国民がパソコンやネットワークに遅れていることを象徴する言葉では ないかと思っています。この問題は、単に防災という観点からではなく、 世界から孤立しないためにも重要な問題と考えます。今後、パソコンの活 用教育やインターネットを活用するための英語教育について真剣な議論が 必要であると思います。                            (つづく) --- From: 作山喜秋 Newsgroups: tnn.interv.disaster.network Subject: 企業ボランティア(その6) Message-ID: Date: 28 Jan 1996 14:14:00 +0900  作山です。  1月末にこの会議室も終了とのこと。時間がほとんど無くなってきまし た。第6話です。 【第6話】行政関連の個別支援  震災ネットの運営事務局をやらしていただいた関係から、パソコンに関 する支援が個別ににいくつかありました。震災直後、各役所では猫の手も 借りたいほどの人手不足で、現実に他の市町村から多くの応援職員の方々 やボランティアの方々が支援をしていました。  そんな中、復旧支援プロジェクトを開始した2週間後、2月の中旬にもっ とも被害の大きかった神戸市のある避難所から避難者の名簿の管理ソフト の提供と入力支援依頼がありました。  避難所では、親戚縁者などからの被災民の問合せが相次ぎ、その対応な りに苦慮していたのが実態であり、区役所レベルでもその情報はきちんと 把握できていなかったのが実態ではないかと思います。私どものパソコン と簡単な住所録ソフトをお貸しすることとし、約5,000件の名簿の入力に ついては社内の社員の全面的な協力の元に行いました。  また、淡路島でも被害がかなり大きかったある町役場からは、全国から の救援物資管理をパソコンでどうやったら良いかの問合せがあり、これに 対応しました。当時、淡路島に向かうことはそれこそ一日仕事であり、移 動するだけでもそれなりに大変でした。このケースも、市販の住所録ソフ トウエアで対応したという単純な話しですが、これによって現場の職員の 作業負荷がかなり減ったとのことでした。  赤十字兵庫県支部からはモデムの調達依頼とパソコン通信の指導依頼が ありました。当時、ヒューコム(東京、佐藤社長)は現地へモデムを無償 で送っておりました。佐藤さんとは、4〜5年前ある研究会の席でご一緒 しただけでしたが、直接メールでお願いしたところ、モデム10セットを 送っていただきました。  すでに、国民の情報リテラシー向上はまさに国家的課題であると申し上 げましたが、行政サイドの立ち後れには目を覆うものがあると思います。 これは、決して行政批判ではありませんが、今回の活動を通じて行政の情 報化の遅れ(特に、ネットワークへの理解の遅れ)を痛切に感じました。 職員の方々の激務は震災後長期にわたって続きましたが、その原因の一つ に職員の情報化の遅れに原因があったと思います。今後、行政サイドでの 情報化の推進は防災の観点からも重要な課題であると考えます。                            (つづく) --- From: 作山喜秋 Newsgroups: tnn.interv.disaster.network Subject: 企業ボランティア活動(その7) Message-ID: Date: 29 Jan 1996 07:43:00 +0900 作山です。第7話です。 【第7話】ボランティア説明会の開催  2月末には、IVNのパソコン通信サポートチームが順次避難所のサポー トを開始しました。一方、各避難所のパソコンの設置状況が明らかになり、 また、各避難所が必要とするサポートレベルを調査し、全体で必要とされ るボランティアの人数などが明らかになってきました。そこで、兵庫県に 対して、震災ネットの概要説明とボランティアの募集をする会を提案しま した。県からボランティアに対して、「しかるべきお願い」があればボラン ティアの士気も上がり避難所のサポートに拍車がかかると考えました。  兵庫県とIVNそして関係パソコン通信ネット会社との日程調整の結果、 3月11日(土)に県企画部と政府現地対策本部主催の「兵庫県震災ネット(仮 称)ボランティア説明会」を実施することになりました。会場は神戸電子専 門学校の会議室、応募者が100名程度の説明会を想定しました。ボラン ティアの募集は、兵庫県の緊急救援支援部(当時)のボランティア募集に 始まり、地元神戸新聞、京都新聞、FMフェニックス、各商用パソコン通 信ネットと関係各機関の協力を得て幅広く行いました。  開催にあたり、たくさんの方のご協力をいただきました。会場を提供し ていただいた神戸電子専門学校の福岡さんには、会場への道案内から電話 回線のご提供まで大変お世話になりました。また、Nfty,PC-VAN,Peopleの パソコン通信各社さんには器材の提供、当日の説明員の派遣などご協力を 得ました。さらに、当日の説明会の企画、進行、ボランティアの募集要綱 などの作成はIVNのパソコン通信サポートチームのメンバーにはネット ワーク上の共同作業という形で協力していただきました。3月の初旬、私 は、自宅に戻ってからはIVNメンバーとネットワーク上での共同作業と いう毎日でした。まるで、我々とIVNメンバーは24時間活動するネッ トワーク上でのバーチャルカンパニーのような働きぶりでした。  その甲斐があってか、短い案内期間にもかかわらず、約80名のボラン ティアの方が説明会に参加していただき、関係者を含めると100名を越 す盛況な説明会となりました。すぐにでも、サポートをしていただきたい 避難所が幾つかありましたので、その場で担当避難所の割り当てをお願い したところ、約20名の方に応じていただきました。  当日は、兵庫県企画部企画参事の榎本課長補佐から避難所へのパソコン の配布状況と今後の運営予定を話していただき、会場に集まっていただい たボランティアの方々に支援のお願いをしていただきました。形式的とい われてしまえばそれまでですが、行政とボランティアの連携を考える場合 に必要な手順ではないかと思います。  この説明会で兵庫県震災ネットが実質上正式に稼働を開始したのですが、 時期的には震災から2ヶ月が経っており、ネットワーク上の生活情報は日 増しに少なくなっていたのが現状でした。震災ネットは形の上では立ち上 がりつつありましたが、一方では、ネットワーク上に被災者が必要とする 情報が本当にあるのかという本質的な問題がクローズアップされてきまし た。                            (つづく) --- From: 作山喜秋 Newsgroups: tnn.interv.disaster.network Subject: 企業ボランティア活動(その8) Message-ID: Date: 29 Jan 1996 07:46:00 +0900  作山です。  あと少し書くべきことがあるのですが、今回でほぼ大枠のところは終了 です。尻切れトンボかもしれませんがご容赦下さい。 【第8話】震災ネット運営事務局  パソコン通信に関してサポートを必要とする避難所の数は約60箇所あ りました。そのうち、巡回サポートもしくは常駐サポートが必要な避難所 の数は30箇所と判断しました。兵庫県主催のボランティア説明会を実施 後、我々は震災ネット運営事務局をして活動することになり、現場での活 動は、ボランティアがメインで活動することになりました。  兵庫県震災ネット運用上の幾つかのポイントをあげて説明したいと思い ます。  その一つは、各避難所のサポートレベルの考え方です。サポートレベル は次の4段階で、A)IVN連絡所サポート、B)パーコールサポート、C)定期 巡回サポート、D)常駐サポートで、A)は自主的に運営ができる避難所で電 話サポートで十分と思われる場合、B)は支援が必要な都度ボランティアを 派遣する場合、C)は週に1〜2回避難所を訪問・支援する場合、D)常駐す る場合としました。  登録ボランティアは約70名で、そのうち約40名の方々が初期の段階 から実際の避難所サポート活動をしていただきました。26チームに分か れ、1チームは1人〜3人(平均的には2名)で1〜2避難所を担当して いただきました。  次は、ボランティアと運営事務局間の連絡手段に関する点です。こちら からの事務連絡はすべて、登録ボランティアへ直接電子メールで送られる ため案外事務連絡は問題なく行われていました。  実際の運用で、問題となったのは避難所情報の共有化でした。それぞれ のボランティアが避難所を訪問した際の細かな情報を如何に共有化するか に関しては、苦労しました。それというのも、登録ボランティアの多くは Niftyユーザーであり、PC-VANユーザーとの電子的な情報共有化の手段が なかったからです。  当時、ボランティア同志の情報交換は、IVNパソコン通信サポートチー ムの川村さんが個人的にに運用されていたNifty上のパティオを中心とし て行っていました。また、避難所情報(いつだれが、どこの避難所を訪問 してどんなことが問題になったかなど)は、Niftyの大谷さん、風間さん によって別のパティオが用意され、そこに書き込まれていました。したがっ て、PC-VANIDのみを持っているボランティアはPC-VANからそれらの情報 を直接見ることが出来ない状況でした。  そこで、PC-VANの金子部長やNECの高本課長に相談し、PC-VAN側にも Niftyとパティオと同様な書込み可能な会議室(PC-VANでは「クラブ」とい い、名称を「クラブ元気110番」としました)を作っていただき、その運 用を震災ネットボランティアであるNECの瀧川仁子さんにお願いしました。 PC-VAN側に書き込まれた避難所情報は瀧川さんの手によってNiftyの川村 パティオに定期的に書き込まれ情報の共有化を実現しました。  第3番目は、「じむきょくだより」と「こうのとりニュース」です。  事務局として、避難所のサポートにあたってボランティアへの情報伝達 の手段として、「じむきょくだより」を3月20日から4月14日までに合計11 回発行しました。毎回A4一枚程度で、内容はその時々に応じて変わり、 例えば、避難所へのプリンターの設置情報、interVnetの情報提提供に関 する啓蒙、避難所訪問報告書のフォーマットについて、「知子の情報」無料 配布の案内とその使用方法、避難所間での物資のやり取りの啓蒙などでし た。個別に情報を流すと混乱のもとであることを幾つかの体験で判ってい たので、事務局からの正式情報であることを常に明確にしながら情報を流 しました。  「こうのとりニュース」発行の目的は、震災ネットの活動自体を広く伝え るための広報的なものでinterVnetの会議室に書き込みました。また、 interVnetの会議室自体は世界に開かれているものであるのでこうのとり ニュースはボランティアの協力によって英語に翻訳されinterVnet上に書 き込みました。こうのとりニュースは英語版も含め合計5回発行されまし た。内容は、震災ネットの現状、パソコン通信ボランティアの活動状況、 インターVネットと震災ネット、震災ネット運用状況アンケート調査結果、 終わりにあたってのCSK震災復旧支援プロジェクトメンバーの紹介など でした。  蛇足ですが、こうのとりニュースの名称は、兵庫県鳥の「こうのとり」か らとりました。ちなみに、兵庫県の花はのじぎくで、神戸市のあじさいネッ トの対抗して(?)震災ネットの愛称を「のじぎくネット」にしたいと思っ ていたのでは私だけではありませんでした。                            (つづく) ---