Newsgroups: tnn.interv.disaster.network From: ymizuno@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) Subject: Notes on WNN group (1) Date: Wed, 31 Jan 1996 15:13:12 GMT Message-ID: <1996Feb1.001312@rcnpax> みなさま,こんにちは,WNN(World NGO Network)グループの水野と申します。 まず言い訳から書かせていただきます。 震災のころは,fj.misc.eartquake を随分と使わせていただきました.その当時は 「水野@阪大です」,などという,生意気な書き方をしていましたが,インター ネット系のニュースグループでは,本名を名乗る事がルールとなっており,そう いう習慣であったということで,パソ通の方々にはお許し願いたいとおもいます. 私は,そのfj.misc.earthquake には,90通くらいの投稿をしたとおもいます. 余裕があれば,それらの記事から,幾つかをご紹介しておきたかったのですが, ちょっと時間切れのようです.あとで遅れて,また投稿するかもしれません. 今回,この企画があるということで,いままでも何度も書こうとおもいつつ, 結局ここにまとまったことを書く余裕はなさそうで,いささか残念です. ですけれど,大雑把に我々の活動をご紹介し,また関連資料として幾つかの かきものの原稿を転載させていただき,以ってWNNグループのご紹介に替えさせて 頂きたいと思います。 以下,次のものを,投稿させていただきます.複数にわけます. 1)fj.misc.earthquake への3/19ころの投稿記事,WNNグループの 活動の趣旨説明です. 2)大阪大学の下條真司先生が書かれた「阪神大震災と情報技術」という文章, これは3/24に東京で開かれた,日本ソフトウェア科学会の緊急チャリティー シンポジウムの発表内容の投稿記事(自由に使って下さい,ということで, ここにも転載させていただきます). 3)6/20ころ大阪で開かれた,CG Osaka 95 というシンポジウムで私が パネルディスカッションをさせていただいた時の発表内容予稿原稿. 「被災地からの情報発信サポートシステムと今後」 4)ベネッセ「季刊 子ども学」という雑誌に書かせて頂いた原稿 の,その草稿(最終原稿はかなり変化しました).「インターネットがつなぐ子ども のこころ」 5)私が「季刊 兵庫経済」という雑誌に投稿させていただいた原稿(これはほぼ 最終原稿に近いもので,出典を明記して転載ということで了解をえています。) 「インターネットと情報ボランティア −これまでとこれから−」 この最後のものに,この場でいままで議論されてきたことの一部への,私なりの 回答めいたことも,見いだされるかも知れません。ご照覧を戴ければ,幸いです. なおこれまでに,徳島大学の干川さんからも,WNN グループについてご紹介を いただいたり,またVAGグループの増澤さんからも私の意見を引用して頂い たりしましたが,ここへの投稿が遅れて,ご迷惑をおかけしましたことを,深く お詫びします. では,まず,われわれの活動の趣旨説明からです.このような趣旨は,基本的には いまでも変わっておりませんので,これから始めさせていただきます。 なお,最近は,上記5)に書かせて頂いたように,市民団体(NGO/NPO団体, プロのボランティア団体等)の現場担当者の情報リテラシーの向上のための セミナー等も行ったりしております。詳しくは,WWWが見られるかたは,どうぞ http://www.osaka-u.ac.jp/ymca-os/ をご参照下さい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「ワールドNGOネットワーク(WNN)・情報ボランティアグループ」 によるインターネット利用を中心としたボランティア活動プロジェクト − プロジェクトの提案と当面の活動内容に関する趣旨説明 − 1995年3月19日 WNN・情報ボランティアグループ WNN(World NGO Network) Information Volunteers プロジェクト名称:NGO組織によるネットワーク利用開発における共同研究 プロジェクト推進担当者:WNN・情報ボランティアグループ,協力者 渉外・管理責任者:下條真司(大阪大学大型計算機センター,情報工学科) 代表・広報責任者:水野義之(大阪大学,物理学) 協力者募集期間:当面1995年2月1日より3月30日まで. 活動期間:当面1996年1月まで. 電子メイル: ngo@center.osaka-u.ac.jp 1.このプロジェクトの目標とその意義について 「ワールドNGOネットワーク(WNN)・情報ボランティア」とは,阪神・ 淡路大震災のNGO団体による復興ボランティア活動において,今後長期的 に必要となる関係各方面との協力,情報交換,広報,連絡等の仕事をNGO 組織が効率的に行うために,情報化のニーズがある団体を側面から支援す ることを,活動の当面の目標としています. 我々はこの目的のために,NGO組織が普段から使い慣れた情報交換の手段 (電話,FAX,face-to-face)に加えてインターネット上のネットニュー ス,電子メイル,メイリングリスト,WWW等をも活用して,NGO組織におけ る情報整理や情報交換,情報入出力,検索サービス等を行なっています. このような情報化は,日本のNGOでは,欧米やアジア諸国のNGOに比べて遅 れています.特に今回の震災で現地に入って活動している民間のNGO/NPO 団体においては,情報化の余裕など,殆どなかったのが現状です.従って これを支援するという活動を,我々は情報ボランティアという形で行ない ます. 我々の活動の最終的な目標は,既存のNGO団体のスタッフの要望に応じて, 組織として直接に電子メディアやネットワークの有効利用が可能となる段 階まで,共同作業を通じて協力していくことを考えています. このような活動の長期的な意義として想定できるのは,まず第一に,市民, 市民団体,行政,専門家,そしてNGO/NPO団体の,相互の間の情報の流れを, 必要に応じて円滑にするために,その一助となることです.また第二に今 後の防災活動の一環として,災害時における広域ネットワークの利用方法 の開発研究を行う事です.長期的には,このような意義が想定されます. 2.このプロジェクトの特徴(関連する他のプロジェクトについて) ほぼ同時発生的に,幾つかの情報ボランティア活動が開始され,活動が継 続されています.このうち,IVN,InterVnetとWNN について述べます. WNNの活動のポイントは,上述のように情報化を必要とする民間NGO団体の 情報活動における協力,という点にあります.一方で,Niftyserveの利用 者を中心とする自主的ボランティア: IVN (インターボランティアネット ワーク)の活動は,行政の責任者がおられる避難所と外との連係や,被災 者に役立つと思われる情報収集,情報発信において,有効に機能してきた ようです. 既存のNGO団体の場合は,その海外活動の経験から,世界への繋がりを常に 意識していますので,我々の活動においてはInternetの活用が中心課題と なります.一方 IVN ではやはり接続が容易であるパソコン通信が適切です. さらに,東京にいても出来る活動としてInterVnetは,その両者を繋ぐ役割 が,主に意識されているようです(その際の利用媒体は,Internet上の NetNewsから始まり,さらに今後の展開が期待されます). すなわち,避難所と行政と外部をパソコン通信で繋ぐ仕事をIVNが担当し, 幾つかのNGO団体においてその近隣地域住民と外部をInternetで繋いでいく 仕事をWNNが担当します.InterVnetは,パソコン通信(IVNはその利用者の 一部)とInternet(WNNはその利用者の一部)とをつなぐ仕組みを提供する ものです. このような役割分担が,IVN,InterVnet,WNN の関係であると言えそうです. 長期的には,WNNのような活動は,Internetを中心とした「ワールドNGO ネットワーク(WNN)」そのものに繋がって行く可能性を含んでいると考えて います.これは,海外のNGO団体(アメリカだけで120万団体,世界では 総計数百万団体にも及ぶ)の一部が既に利用する,既存の電子ネットワーク の一翼としても,考える事ができるでしょう. 3.当面の活動内容とその背景 3.1)背景 当面の目標は,現場とNGO,NGOとNGO,NGOと外部の間をつなぐための情報処 理というような仕事を,現場のニーズを見ながら,自主的に担当することで す.これは今回の震災において、情報網の欠如やNGO団体における情報化の 遅れが,ボランティア作業においても非効率性をもたらし、柔軟な対応が行 なえなかったとする反省に基づいています. 長年の経験を持つ民間のNGO団体は,海外現地活動を通じて各種のノウハウを 蓄積しています。一方,インターネットの利用に慣れた,いわゆるNetter達に よって,広範囲で自主的な情報網構築のノウハウが蓄積されています.そこで 我々は,今回の大震災の反省に基づいて,これらのNGO団体の現場での活動に 広域コンピュータネットワークの利用を相補的に連携させることができれば, そこから何か新しい形態のボランティア活動を生み出すことができるのではな いかと考えています。 3.2) 当面の活動内容 そこで我々のグループは,このような視点から現場で共同作業を行い,そこか ら生まれる様々なネットワーク利用法のアイデアを,現場の担当者と共同で実 験的,実践的に検討して,役に立つ技術を使っていきます.ネットワークの特 性を利用した新しい利用方法の提案もあります.それらをNGO団体の現場活動の ノウハウに新しく取り込んで行く事が,当面の活動の中心課題となっています。 今後の方向性としては,次のような視点が重要だと指摘されます.すなわち, 海外においては,ODA で学校を建てるまでが行政の仕事であり,教育をするの は海外NGO団体の仕事となっています.そのように,被災地区においても,例 えば,仮設住宅を建てるまで(パソコンを配るまで)が行政の仕事であり,そ のあとを長期にわたって使い易いように整備し,生活に適切に活かしていくの が,NGO/NPO団体の仕事だと言えます。これを我々は,行政とNGO団体との住み 分けと呼んでいます。 このようなきめの細かい支援活動をおこなうことを目標としている現地NGO団 体の活動を,我々自身は,情報流通の側面から支援します. 活動の範囲は,とりあえず,大阪で始め,西宮にもノウハウを移しています. 神戸においては,地元のNGO/NPOの160団体を組織する連絡会議である「地 元NGO救援連絡会議」に協力する活動を3月から始めまています.長期的には, 他の地域や相補的な専門性を持った数多くのNGO/NPO団体とも協力する必要が あります。 一方,兵庫県企画部等の行政組織においても,IVN とその支援団体の協力に よって,避難所や行政におけるパソコン通信の効果的利用の開発が,平行し て進行しています. 今後はこのような共同作業や広域組織化等の問題が,課題の一つとなると考え られます. 4.ワールドNGOネットワーク(WNN)情報ボランティアの募集について Internetの利用に興味を持つ関西のNGO団体の一つとして,大阪YMCAがあります. そこでは,今後必要となる地域性,専門性を要求されるボランティア活動を効 率的に広域組織化し,ネットワーク上の情報の共有,海外への対応等を可能に するために,試験的にインターネットの利用を開始しています。これに伴って, 当初今回のような情報ボランティアが募集されました。 2月27日現在,約25名が「WNN情報ボランティア」として登録して, 活動を行っています。ネット上の Remote-Network-Volunteer 活動や,オン ネットの情報検索等も行っています。 なおWNN の参加メンバーによるMailing-Listを運用しております.参加希望 者はE-mailにてお申し込み下さい.申し込方法は,subject:欄に SUBSCRIBE と書いて, ngo-request@center.osaka-u.ac.jp まで,メイルを送って下さい. 5.備考(活動の地域について) 今回の「阪神淡路大震災・被災地の人々を応援する市民の会」は,平時におけ る関西NGO協議会(加盟24団体,連絡窓口:大阪YMCA)という組織が基礎の 一つとなって,結成されたものです.その現地本部事務所は,2/19より西宮か ら芦屋駅前に移転しました.これらの活動の後方支援を行う本部事務局が大阪 YMCAとなっています.西宮YMCAは,西宮市,神戸市灘区,東灘区を中心に,現 地活動を行っています.また今回の神戸における地元のNGO/NPO160団体を 組織する「地元NGO救援連絡会議」は,1月28日に組織されて,毎日新聞社 神戸支局が本部となっております. 各組織のInternet address は,次の通りです. Osaka YMCA ... ymca-os@hardrock.center.osaka-u.ac.jp ymcaosa@mb.osaka.infoweb.or.jp Nishinomiya YMCA ... ymca-ns@hardrock.center.osaka-u.ac.jp ymcanis@mb.osaka.infoweb.or.jp Kobe local NGOs Team ... ngoteam@mb.osaka.infoweb.or.jp 6.謝辞 なお,本活動の推進にあたっては,次の関係者の方々のお世話になっております. ここに深く感謝をいたします. アップル・コンピューター,ABC朝日放送, NTT, KIIS (関西情報センター),IIJ (Internet Initiative Japan), 富士通 InfoWeb, SIII(千里国際情報事業財団). 7.参考資料 以下には参考資料として,NetNewsにおける今回のボランティア募集の初期の 記事を転載します.出典等は以下の通りです. Newsgroups: fj.misc.earthquake Subject: [CALL] info-volunteers at YMCA-Osaka Date: 1 Feb 95 13:10:58 +0900 Lines: 60 (中略) ここから: −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 大阪YMCAから 「情報処理専従ボランティア」募集 のお知らせ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 内容: 阪神大震災の復旧ボランティア活動で必要な各方面の情報収集,広報,募集, 連絡等を効率的に行うために,インターネット上のネットニュース,メイル等 を援用して情報整理を行い,また情報入出力を行うための,情報処理専従ボラ ンティアを募集している. 募集期間: 2月3日(金)より3月30日(木)まで.10:00AM − 5:00PM 条件: 無給。ユニックス上のインターネット利用(ニュース,メイルの読み書き)等 に習熟している方,毎日2名程度。特に今回の震災救援活動における,ネット ニュース記事群や,ネットワーク利用の動向,報道等にも詳しい方が望ましい。 当面は大阪大学大型計算機センターのユニックス機を活動本部から遠隔利用する。 応募方法: 次の内容を記したFAX,または電話で申し込む. ○氏名,所属,職名(学年) ○現住所 ○電話,FAX(もしあれば) ○電子メイル(インターネット) ○希望の曜日,可能な時刻 ○その他の希望 連絡先: FAX: 06−443−0739, 電話:06−441−5598 〒550 大阪市西区土佐堀1−5−6 大阪YMCA 国際・社会奉仕センター, 真嶋,笹江 まで −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ここまで --- Newsgroups: tnn.interv.disaster.network From: ymizuno@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) Subject: Notes on WNN group (2) Date: Wed, 31 Jan 1996 15:18:18 GMT Message-ID: <1996Feb1.001818@rcnpax> WNN (World NGO Network) グループの水野です. 以下には,次のものを引用します: 2)大阪大学の下條真司先生が書かれた「阪神大震災と情報技術」という文章, これは3/24に東京で開かれた,日本ソフトウェア科学会の緊急チャリティー シンポジウムの発表内容の投稿記事(自由に使って下さい,ということで, ここにも転載させていただきます). −−−ここから: 阪神大震災と情報技術 下條真司(大阪大学大型計算機センター) * はじめに この震災の前までは,マルチメディア,あるいはインターネットこそが次世 代の技術をリードするものである.そう信じて来た.いわゆるマルチメディ アブームである. しかし,それが我々の生活にどのように関るのかはいまひとつ明確なビジョ ンを持てないでいた.ところが, この震災が緊急時の情報システムに付いて 考えさせるきっかけを与えてくれた. マルチメディアやインターネットなどの情報技術がまさに我々の生死に関る 重要な技術であることがはっきりして来たと思う.つまり,今の我々にかけ ているものは緊急時に大量の情報を効率良く捌く情報システムとそれを有効 に生かせる人間の組織である. ここでは,阪神大震災の経験を元に,緊急時の情報システムのあり方に付い て考えてみる. * わたしが経験したこと ** The day after 震災の真っ只中の芦屋市にいて,私の体験したことをまず振り返ってみる. 幸い私のすんでいるマンションは中のものが倒れて来た程度で,無事であっ た.しかし,地震直後は停電していた. 停電の中,まず最初に手にした情報は,ラジオからであった.幸い,携帯用 のラジオがあったので,そこから情報を手にすることができた.とはいえ, ラジオは当初,淡路島,神戸を中心に大きな地震があったということを伝え るだけで,自分たちのすんでいるところの回りで何が起っているかや,詳し い情報はわからなかった. すぐに,表に出てみるとすでに火の手が幾つか上がっていた.隣の住人と情 報交換をすることができたが,幸いにうちのマンションはたいしたことはな いようであった. すこし,落ち着くと六甲アイランドにすんでいる両親に電話して,向こうの 状況を聞くことができた.電話はまだこの頃はつながったのである.つなが りにくくなると,携帯電話を試してみた.確かに最初のころは,かかりやす かったような気がする. うちのマンションはCATVをひいているので,ほとんどのチャネルが映らなく なった.とくにCATVの付加放送でなく,一般方法が映らなかったのには困っ た.幸い,NHKの衛生第2のみが唯一の情報源であった. 朝になると,ヘリコプターがよく飛び回っているのが,聞こえていた.TV をみると被害が予想よりも大きかったことがわかってきた.見慣れた場所が 大きな被害を受けている. それでも,昼になって実際に自分の家の回りを見るまでは,そんな大きな地 震だと思わなかった. 昼になると電話がぴたりとかからなくなってしまった.おそらくNTTが受付 制限をしたのだろう. TVの流す情報は,被害の大きさを語るだけで,生活に必要な重要な情報は何 も流れてこなかった.CATVには芦屋広報チャネルがあるが,恐らく自動で流 しているのだろう.のんきに通常の番組を流していた.また,最近CATVによ る交通情報案内サービスが始められた.大阪府警が提供する情報を元に,京 阪神の地図に渋滞状況を添えて,くり返し流すサービスである.しかし,こ れも流されることはなかった. ガスがとまっていることは,一番最初にチェックしたが,水道がとまってい ることには気がつかなかった.マンションのため,屋上にためていたのであ る.調子良く,あと片付けの洗い物をしていると,水がとまってしまって初 めてなるほどと気がついた.気の付く人は最初の内にためておいたそうだ. こういうことも重要な情報である. 水と食料を確保しに,コンビニエンスストアに行列ができた.空いていたの は,コンビにだけだった.それも自分の足であちこち回って探さなければな らなかった.幹線道路を見ると,既に大渋滞が起っていた.神戸方面に向か う車が多かったようだ. その日の夜も,余震がひどく,明日は大阪の方に脱出しようということにな った.しかし,大阪までの道がどうなっているかは,まったくわからなかっ た.とにかく通常よリは相当時間がかかるだろうと覚悟して,朝早く出るこ とにした.実際,走ってみると至る所で,隆起や陥没が起っていた.阪神高 速が何ヶ所かで倒壊しており,主要幹線である国道43号線が走れないこと は,知っていたが,どこの部分が通行止めになっているのか,どこに迂回す ればいいのかという情報は,まったく与えられなかった.途中,車が動けな くなって捨てられていたが,交通整理をする人もなかった. ** Internetの利用 大阪に出てみると,通常と全く変りない生活をしていることに驚かされた. 学校に出てみると安否を気遣う電子メールを山のように頂いていた.特に海 外からも沢山電子メールを頂いたことにはびっくりした.私自身,これまで 海外の災害に対して,こんなにも感心を寄せたことがなかったからである. ありがたいことだが,答えを書くのは大変だった. Internetでの地震関係の情報のやり取りが行われているのに,気がついたの は日本の中でWEBに関する情報を交換しているinfotalkというメーリングリス トに入っていたからである.ニュースグループができた,WEBサーバーが上が ったという情報が,交換されていた. 最初に気がついたのは,当然ことだが,どちらかといえば被災地から離れた 人の投稿が多く,中の情報が少ないということである. また,TVでボランティアという言葉が聞かれるようになって,Internetで も何かできないだろうかと思う人が増えて来た.これだけたくさんのWEBがあ がったのもその結果であろう. 私自身も何かできないかと悶々とする中で,朝日放送の香取さんから,手伝 って欲しいとメールがあり,朝日放送での手伝いに関ることになった.朝日 放送では,すでに奈良先端大学の羽田さんたちによって,On-lineの死亡者名 簿があれば,放送終了後に繰り返し自動的に流すことと,同時に,奈良先端 のWEBにあげることができるようになっていた.唯一の問題は,警視庁発表の 最初の情報が,FAXでやってくることである.しかも,そのFAXはワープロで 打っているのだが,結局それをもう一度打ち直さなければならなかった.ま た,その後,このようなOn-lineリストを持っているところが,複数あるとい うこともわかったが,それぞれ情報ソースが異なっており,統合することが 難しいことも明らかになって来た. * 何がまずかったか 上記の話にはいろいろな教訓が含まれていそうである. それを幾つか,拾ってみることにする. 1)いろいろな情報システムが,役に立たなかった 普段,我々は,いろいろなものから情報を得ている. 新聞,TV,CATV, 電話,電子メールなど.そしてそれらから得られる情報は ,豊富になり,個別になって来ている. しかし,今回はこれらの情報を支える基盤が脆弱であったために,ほとんど 役に経たなくなってしまった. 2)個別,地域情報こそ重要である 災害時に必要とされる情報は,どこの道が通れるとか,どこの病院は空いて いるとかいった地域性のある情報であり,しかも,要求されるものは様々で ある. TVのような広域のメディアができることは限られている. また,一旦,出された情報例えば,空いている病院一覧だとか,お風呂屋さ ん一覧といった内容を蓄積し,検索できるようにしておくことも重要である. さらに,蓄積された情報を常に最新のものに維持して行くことの方が,重要 である. 今回,Internetなどで,集められたたくさんの情報も,更新されないために 余り役に立たなかったこともある. 3)組織を支える情報システムの問題,情報システムの欠如 都市部における災害においては,様々な事象が広い範囲にわたって,同時に 起るため,それらの事象を同時並行的に監視し,処理する情報システムなく しては,対応できないことである. 多くのところで,情報が溢れてしまって処理しきれないという例が見受けら れた.例えば,ボランティアの受付に際しても多くのボランティア組織が捌 ききれずに断っている.また,食料品などの物資やボランティアまで避難所 間の連携がなかったためにあちこちで過不足が起った.こんなときに,Inte- rnetで情報が交換できたらとはみんな思うことですが,その前に解決すべき 問題が多い. 4)災害に対応する組織の問題 たとえ,情報システムが存在したとしても,その情報を使う人間の方で,組 織化がうまくいっていなければ,情報を有効に使うことができないのである. 今回の災害で,特に,国や自治体などフォーマルな組織が,必ずしも緊急事 態に対応してうまく動くことができないということがわかった. そのかわりに,フォーマルでない組織,たとえば,地元の自治会やボランテ ィアグループの方が決めの細かい対応ができることもわかって来た.組織の ルールに縛られない方が自由に動けるからである. もちろん,first careは行政が整然と対応できないと困るが,second care, third careは行政だけではカバーしきれない.我々は社会資本としてこれら の組織を抱えておく必要があると感じた. * 情報ボランティアグループの始まり Internetの中で,WEBをあげるだけではなく,もう少し積極的に関ってやろ うという人もあらわれた.大阪大学核物理研究センターの水野先生もその一 人である.彼がInternetで呼び掛けて「情報ボランティアグループ」という のが集められた.情報技術をボランティアの仕事に役立てられないだろうか という趣旨である.ボランティアグループとの接点は大阪YMCAに見つけるこ とができた.ここは一早く「応援する市民の会」という形でボランティアグ ループを作っており,「関西NGO協議会」という関西のNGO/NPOを取りまとめ る役割をしていたのである.それらのボランティアグループのためのボラン ティアの募集から,幾つかの避難所を担当しているボランティアグループの 横の連絡を果たしていた.ここの笹江氏と一緒に考えた結果,これらの組織 を情報システム技術,とくにInernetを通じて結ぼうというアイデアが出て来 た.しかし,現実にそれを行うには幾つかの障害があった. 1)これらの組織は,Internetを使うための技術を何も持っていない. 2)日々の活動が忙しく,Internetを使うための人材,時間的な余裕が無い. 3)情報技術に関する理解がなく,また,どのように使うべきかもわからない. 4)組織が情報技術を使うような体制になっていない. まあ,当然といえば当然のことである.これはかつて我々が,電子メールな どのInternet技術を最初に導入するときに経験したことそのものである.実 際に,避難所にパソコンを配ったもののほとんど使われていないという話も 聞いている. やはり,実際にこれらの技術を持っている人が,乗り込んでいき,手取足取 教えてあげる.あるいはボランティアグループと一緒に行動して,その中で 解を見つけて行くといった地道な活動が必要であろう.そこで,「情報ボラ ンティアグループ」自身がボランティアグループの活動の拠点である大阪YM CAと西宮YMCAに乗り込んで行くことになった. アップル社の協力により,Machintoshを何台か貸して頂けることになり,モ デムを使って大阪大学にアクセスすることから始めた.幾つかのネットワー クプロバイダーからもアクセス権を一時的にお借りすることができ,とりあ えずこのプロジェクトが活動中である. * おわりに この震災を通して,私を含め,多くの人が初めて「ボランティア」という言 葉に感心を持ったのではないかと思う.そして,多くの人が実際に行動した .段々と時が立つに連れ,世の中の関心も薄れていき,ボランティアの人数 も減ってくるだろうと思われる.しかし,これをきっかけに多くのボランテ ィアグループが,Internetを使い始め,細々とでも横の連絡を取り始めれば という思いを込めて,我々のグループをWNN (World NGO Network)と呼び始め た(WNNに関する情報は,http://www.osaka-u.ac.jp/からアクセスすること ができる.).また,同様のグループがパソコン通信も含めてあちこちに出来 上がっている.このような活動が続いていることが,様々な災害に対する社 会の強さを作り出すのではと思っている.情報技術に携わるものとして,こ ういうことを情報システムの観点から,支援して行くことができればと思っ ている. 最後に,この震災でなくなられた多くの方の御冥福をお祈りします. (日本ソフトウェア科学会,シンポジウム,1995年3月24日) −−−−−−−−−ここまで: --- Newsgroups: tnn.interv.disaster.network From: ymizuno@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) Subject: Notes on WNN group (3) Date: Wed, 31 Jan 1996 15:28:06 GMT Message-ID: <1996Feb1.002806@rcnpax> WNN の水野です. WNNの紹介を続けます。 以下には, 3)6/20ころ大阪で開かれた,CG Osaka 95 というシンポジウムで私が パネルディスカッションをさせていただいた時の発表内容予稿原稿. 「被災地からの情報発信サポートシステムと今後」 −−−−−ここから: 被災地からの情報発信サポートシステムと今後 大阪大学 水野 義之 1.はじめに  今回の阪神淡路大震災においては、大規模なマスコミ報道を通して、大災害時 における問題点の一部始終を、国民全員が共通体験することとなった。この規模 の共通体験は、今後の社会のより良い在り方を考える際にも、大きな意味を持つ。 その中でも特に注目された問題の一つが、被災地からの情報発信の難しさについて であった。  この問題に対処するために、電話、FAXの次に来るべき第3の通信システムとし て、インターネットを大災害時に積極的に活用しようという人々が、相当数(お そらく数千人の規模で)現れたのも、今回の特徴であった。我々も微力ながらそ の観点から、大阪大学の下條先生と協力し、被災地からの情報発信サポートシス テムについて、多少とも関わることとなった。ここではこの問題についての中間 的報告を述べ、また今後の問題についても考えてみたい。 2.問題の認識  震災直後の混乱を通して、大災害のような緊急時においては、平常時を想定した 行政システムには対応出来ることと出来ないことがあることが、誰の目にも明かに なった。また、このような事態を通じて、行政の仕組みの全体を、国民全員が学習 する良い機会となった。この事は逆に、緊急時において、国民が行政と協力して対 応していく上で、そのスタンスの取り方を実感できたことを意味する。これが、国 民の全階層に多くの自発的なボランティアを生み出した。この事情は、情報通信シ ステムのボランティア活動についても同じであったといえる。  その行政の情報通信システムをじっくり観察した情報技術者、情報技術の積極的 利用者から見ると、被災地への情報提供、情報発信に何をすればよいかということ は、かなり明らかであった。要するに自分の普段の計算機環境がそこに出来ればよ い。しかしその難しさも、容易に判断された。また問題の規模の大きさから、孤軍 奮闘で出来るものでもないことは、明かであった。さらに緊急時(例えばがれきの 下にまだ人が埋まっている時)に、パソコンに向かおうなどという提案は、当時多 分理解されなかったかもしれない。  しかしながら大震災時は、産・官・学・民すべての緊急な協力が必要とされ、ま たそれが有効な事態である。この時に必要なことは、どの組織は何が何処まで出来 るかを、国民的規模でお互いに認識していることである。被災地での情報提供、情 報発信システムについても、既存の情報システムに加えて、緊急の情報発信サポー トシステムが必要であると判断された。  大災害の混乱時に各人、各組織が適切な行動を決定する際に、コンピューター通 信(特にインターネット)の広域性と即時性、双方向性と平等性、そして記録性と いった際だった特性は、非常に有効である。インターネットは、時間、空間、年齢 や組織の制約を軽々とこえて、必要な情報を必要な所に伝達することを可能として いる。問題は、これを有効に使える人が少なかったこと、またその協力関係がまだ システムになっていなかった事であった。 3.問題への対応  当初被災地は、情報の流れから完全に孤立していた。その後2月になって行政か らの情報や新聞等が届き始めると、問題が個別化、専門化していき、素人ボラン ティアによる支援は次第に困難となり始めた。そしてさらに3月から4月にはいっ て、人々が避難所から自宅や仮設住宅へと移動するにつれて、残ったのは継続して 支援できるプロの支援団体が主となった。そして、それらの団体は行政との役割分 担を模索しつつ、現在に至っているようである。  被災地の大学には、情報通信システムがあった。そこからの情報発信としては、 神戸市外国語大学の素早い対応と、神戸大学の大学再建のための真摯な取り組みが あった。その的確かつ有効な努力は、やはり特筆に値する。これらは特に、学生に 自由な活躍の場を与えたこと、また海外からの反応伝達と海外での世論形成のため の情報源として、大きな影響力を持った。  さらにこの間、自主的、自然発生的に、一種の情報系ボランティア活動も数多く 生まれた。  被災地救援の情報系ボランティアの支援方法には、大きく分けて3つほどが生ま れたようである。これらは地理的に(支援者が住んでいる地域によって)、支援の 発想が自然に異なっていたことによる。そのような情報通信支援グループは、地域 性だけでなく、その得意とする技術的専門性の違いによっても、うまく相互の役割 分担が行われたという見方ができる。  3つの支援方法とは、1)現地グループを主体とする現地での直接的情報支援活 動、2)大阪以遠に位置するグループによる現地団体の情報化に関する後方支援活 動、そして、3)東京からのグローバルな発想による情報インフラ整備のための支 援活動、この3つである。 3.1)現地グループを主体とする現地での直接的情報支援活動  第1には、現地活動のグループである。これは、外部から被災地まで頻繁に行け る人々による情報支援である。そこでのサポートは、外部から現地へ(ニュース配 信)、そこでの 現地から現地へ(避難所同志、地域行政との連絡等)、そして現 地から外部へ(避難所レポート等)、という動きである。主に接続の容易な NiftyServeなどのパソコン通信が組織的に利用された。  現地活動でInternetも利用された。NetNews上では最初の一ヶ月で、1、200件 を越える情報がやりとりされた。しかしInternetの接続は、個人的努力では困難で あった。また、やはり遠隔の利用者が多かったために、Internet利用の多くは個別 の動きにとどまらざるを得なかった。  被災地現地での活動の場所は、やはり避難所やテントであった。また避難所を管 理する立場にある行政サイドへの、情報サポートも行われた。その直接的な支援努 力に対し、ネットワークでつながる遠隔地の人々が協力する、という形態となった。  この中では初期の情報ボランティアグループ、IVN(InterVolunteer Network)、 4月以降の兵庫県震災ネット、VAG (Volunteeer Assist Group)、等の活動が興味 深いので、ご紹介したい。 3.2)現地NGO団体の情報化に関する後方支援活動  さて、第2には、大阪以遠に位置するグループである。直接の被災現地からすこ し離れた場合には、また違う発想の情報支援が行なわれた。この程度の距離から継 続的に支援出来ることは、被災者の直接的支援ではなく、現地で活躍するNGO団体の 組織的作業の情報化に対する、後方支援活動であった。これは、震災の初期段階で あきらかとなったように、組織の情報化の遅れが、救援の初期活動に様々な非効率 をもたらしたとする反省に基ずいている。  震災後の大阪YMCAは、当時非常に効率的、組織的に活動していた「応援する市民 の会」の大阪事務局であった。またここは平時における関西NGO協議会加盟24団体 の連絡窓口でもあった。私がたまたま参加する若手物理屋のmailing-listでも大阪 YMCAの情報サポートが提案され、筆者は週末を利用して1月28日に現場でInternet利 用を実演し、積極的利用を提案した。そこの主任である笹江氏と、大阪大学大型計 算機センターの下條先生と筆者が相談し、Internetを、大阪YMCAのような中枢組織 の情報支援に試験的に採用することになった。ネットニュースで呼びかけた結果、 優れた技術をもつ協力者多数の参加を得て、2月中旬に活動を始めた。  現地の避難所は「点」である。それは行政の責任で運営されている。2月にはい ると、すでに問題が長期化しつつあることは明かであった。避難所は、いずれなく なるものである。そこでこれに相補的に、地域に「面の広がり」を持つ支援組織の 情報化が、有効であろうと考えた。実際に現地に入ったNGO団体は、そのまわりの地 域社会に帰った被災者をも支援していた。行政職員は、とてもそこまでは手がまわ らなかった。大阪YMCAに加えて、このような拠点である西宮YMCAと、神戸にて 160のボランティア団体との連絡をとる地元NGO救援連絡会議の、合計3つの拠 点に情報発信基地を設けた。  この活動では、関連企業の方々の理解を得て貸与されたMacを各拠点に持ち込ん だ。PPP接続により阪大の下條先生の研究開発用WSをアクセスポイントとして公衆 網でloginし、そこからInternetの世界につないだ。これは2月の中旬から3月に かけてのことであった。その後ISDNの専用回線もお借りできた。このようにしてプ ロのNGO/NPO団体(民間非営利団体)の情報通信の支援を行ない始めたサポートチー ムを、「ワールドNGOネットワーク(WNN)」と呼んでいる。以来今でも1日平均30 通近いメイル(Mailing-List)による活発な情報交換、被災地からの問い合わせに 対してネットワークを利用した検索、アドバイス、WWWによる情報提供等が行われて いる。  当初、Internetを使える情報系の協力者はNGOの世界を全く知らなかった。また、 NGO団体は、Internetをどう使ったらいいか全然わからなかった。しかし、この両者 の経験の交流から、様々な新しいものが生まれることとなったように思う。なによ りも現場の作業を、今まで出会うことが無かったであろう別世界の人々が、共同で 行うことによって、我々は現場の問題を理解し、彼らはInternetでつながる世界を 理解した。そこから色々な発想が生まれた。  我々がPPP接続やアカウントの整備を終えて現地へ入った頃、現場ではすでに情報 班が活動していた。彼らは新聞の切り抜きを作って、問い合わせに対応していた。 主役は高校生のボランティア:最初は「おれは人を助けに来たのであって、パソコ ンを覚えにきたんじゃない」という拒否反応に出会った。現地型ボランティアの健 全な反応である。この段階で、現場での理解を得るのが、一仕事であった。この段 階はいわば、「ネットワークの上に協力者がいる」、ということが、彼らにも見え てくるまで、である。  現場でこのような理解を得る段階を過ぎると、そのあとの連係は、ネットワーク を通じて自由に広がっていったといえる。噂も広がり、色々な訪問者からシステム 導入の希望も出始めた。  5月には西宮YMCAにより、ニュージーランド政府・航空の協力を得て、西宮の 90人の被災した子供達の、心のケアのためのニュージーランド・ホームステイ企 画が行われた。我々の協力メンバーもInternetの特派員としてこの企画に参加し た。本来の遊びの活動や、日本の関係者への報告に加えて、子供達と日本側との CU-SeeMeの実験まで行った。  5月の末にはたまたま、サハリンで大震災が発生した。この救援に向かった医療 NGOであるAMDAの活動は、我々の協力者の共同作業によって即座に日英両方でWWW, NetNews, BBS, Mailing-listを利用して、世界にむけて情報提供された。これに素 早く協力することが出来たのは、やはり普段から使っているシステムを、そのまま 応用できたからであった。  防災システムのうち、少なくとも情報発信の部分は、普段から使っている情報シ ステムしか、いざという時には使えない。防災システムとしては、多額の予算を投 入した特殊なシステムも興味があるが、実践的有効性については、すでに現在のシ ステムを生かすだけでも十分である。  最も重要なことは、防災に関心を持つ幅広い関係者を、Internetの通信システム (Mailing-List)とWWWで、普段からつないでいることである。これによって初め て、非常時での敏速性、広域性、双方向性を持った対応が可能となるように思われ る。  地震は、一旦おこってしまったら、どうしようもない。震災後の対応システム を、今後どのように作っていったらよいのか、結論はないが、これまでの経験か ら、今後の可能性についても考えてみたい。ポイントの第一は、震災に対応出来る ネットワーク上の必要な協力者のつながりを作っていく方策の検討。それを実践す ること。次に重要な点は、現地活動と、後方支援活動のコーディネーションとその 連係。これはなにも難しいことではなく、普段からネット上のつきあいがあればよ い。地理的条件によって、自然に役割分担は決まる。そしてさらに、BBSとInternet の適切な組み合わせによって、より幅広い人脈にまで声が届くこと。  これらを念頭において、協力メンバーが今までに蓄積してきた経験を、具体的に 紹介したい。 3.3)グローバルな情報インフラ整備のための支援活動、  最後に、被災地からの第3の情報発信サポートシステムとして、是非ご紹介した いのが、InterVnetである。これはInternetとBBSに共通する議論の場を提供する仕 組みであり、慶応大学の金子先生らのご努力の結果である。またその発展としての VCOMというプロジェクトも提案されている。これについても、最近の新しい動きを 含めてご紹介したい。      (以上) −−−−−−ここまで: --- Newsgroups: tnn.interv.disaster.network From: ymizuno@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) Subject: Notes on WNN group (4) Date: Wed, 31 Jan 1996 15:33:25 GMT Message-ID: <1996Feb1.003325@rcnpax> WNNの水野です. WNNグループの紹介の続きです. 4)ベネッセ「季刊 子ども学」という雑誌に書かせて頂いた原稿 の,その草稿(最終原稿はかなり変化しました). テーマは,「インターネットがつなぐ子どものこころ」 −−−−−ここから,以下500行くらいです.−−−−− インターネットがつなぐ子どものこころ      水野義之(大阪大学) ■はじめに  阪神大震災における救援ボランティア活動 の中には、被災地から少し離れた視点から、 インターネットの広域性を積極的に活用し、 広域にまたがる情報支援活動も行われた。そ れに関与した人々の新しい出会いの中にも、 被災地の子ども達との予期せぬ出会いがあり、 分野や世代を越えた新しい種類の交流もあっ た。ここではその経験を紹介しながら、イン ターネットと今後の地域社会、特に学校や子 ども達と社会との関係や、今後の地域防災計 画におけるインターネットの役割等について も考えてみたい。 ■インターネットは役に立ったか  まず震災救援とインターネットの関係を、 簡単に振り返っておきたい。  今回の阪神大震災においてインターネット は、情報流通支援システムとして積極的に利 用され、その有用性は高く評価された。これ によってパソコン通信もインターネットも、 社会を構成する文化の一つへと昇格したと考 えてよいだろう。これは、95年7月に全面 的に改定された国の「防災基本計画」にも、 各自治体によるパソコン通信の利用が正式に 位置付けられた事実からも窺うことが出来る。  実は被災地でも、また外の社会でも、イン ターネットが誰の役に立ったかと言えば、そ の数はわずかであり、約二〇〇人に一人の割 合に過ぎなかった。しかしこれを利用出来た 少数の人々には、非常に役に立った。  インターネットは、大震災を契機に、役に 立つことが広く社会に認知されたが、まだ今 後が予測できないのが現状であるといえよう。 ■社会の中のインターネット  インターネットのような新しい大衆メディ アが出現したとき、社会はそれを使うことで 試す。すなわちそのメディアの特性、影響や 役割を広く理解し、新しい使い方を工夫して 活用することが大切である。その社会的合意 を得る上で、大震災でのマスコミ報道の規模 の大きさは影響が大きかった。この世論を背 景として各省庁の予算化の努力があり、イン ターネットを基本とする各分野の災害情報シ ステムで地域社会、特に避難所となりうる公 立学校や、病院等の専門的組織の情報化、広 域ネットワーク化が一気に進もうとしている。  では、インターネットと子どもの関係はど うか?残念ながら、子どもの問題の報道がま だ少なく、社会的な経験も蓄積されておらず、 例外はあるが公開もごく少数に留まっている。  しかし筆者の身の回りでも、様々な偶然の 出会いによって(あるいは親や教師を通して) インターネットが、社会と子ども達とを、新 しい形でつなぐかに見えた出来事もあった。  子ども教育の専門家による系統的分析や研 究発表も、これから増えてくると期待される。 以下には、筆者の個人的体験に基づいて、幾 つかの事例紹介と議論を記す。これが、少し でも役立つことを願う。 ■震災救援ボランティアとインターネット  大学で物理学を研究する筆者が、微力なが らもこのような活動にかかわった契機の一つ は、研究生活の中でインターネット利用に積 極的であったことが大きい。ネットワークの 利用は、情報を出すことが基本であるという 意味で、ボランティア精神との親和性が高い。  インターネットはもともと技術的に災害に 強い。その特性は、時間、空間や世代、組織 等の壁を越え、広域性、即時性、双方向性、 記録性の良さを持ち、マルチメディアへの親 和性も高い。従ってインターネットは、災害 時にも有用な優れたメディアであると言える。  しかし、震災の最初期には、それはほとん ど認識されていなかった。  インターネットの利用者(主に理系の学術 関係者と大企業の技術系社員)から見ると、 震災で遮断された情報伝達系にも緊急支援の 必要性が明かで、自発的な情報ボランティア 活動が起こり、全国的な情報支援が展開され た。しかし我々も当初、インターネットをど のように使うとよいか、判ってはいなかった。   ■情報支援活動の視点とインターネット  NiftyServe等のパソコン通信の利用は、機動 性を生かして現地の情報提供活動を主体とし、 それに遠隔地の協力者が支援する形をとった。  それに対してインターネット利用者は、広 域性を利用して現地情報の外部への伝達と、 情報手段の利用法開発が多かったようである。  大阪にいた我々は、ネットの広域性を現地 で生かそうと試みた。まず1月28日に大阪 YMCAにMacを持ち込み、現場の笹江氏の理解 を得て情報ボランティアが募集された。阪大 大型計算機センターの下條先生とも共同で検 討し、拠点である西宮YMCAと、神戸の地元 NGO救援連絡会議の合計3箇所で、情報支援 活動を始めた。団体間の横の連絡を取りたい という願いを込めて、この活動グループをワ ールドNGOネットワーク(WNN)と呼んだ。 ■子どもとの接点はどこにあったか  子どもに対して社会的には、緊急時を過ぎ るとまず勉学環境や受験への配慮がなされた。 いかしインターネット利用者の多くは、学校 との普段の関係は希薄であった。ネット上で は、教師の支援ボランティアの希望もあった し、私は大学生に青空教室ボランティアを呼 びかけたりもしたが、反応は判らなかった。 また子どもの心のケアと言われても、当時ネ ットワーカーが関与できるとは思わなかった。  被災地でインターネットが利用されていた 学校(赤塚山高校、葺合高校)では、関係者 の努力により生徒から世界に向けて素晴らし い情報発信が行われ、95年3月の国連社会 開発サミットでも紹介された。これらの成果 は例外であろうが、その内容は検討に値する。  WNNグループの活動では、関連企業の協力 を得て、インターネットを震災復旧の支援ボ ランティア活動でどう生かせるか、それを現 場で、現場の担当者と一緒に検討していた。  2月になると海外からはインターネットで、 子ども達からも問い合わせが来始めた。例え ばアメリカの幼稚園の先生からは、神戸大学 に電子メイルで、神戸の幼稚園とインターネ ットでの交流申込があった(それが出来る幼 稚園は神戸にはなかった)。またコネチカッ ト洲の少女は、学校で神戸のことを調べてい るので母親宛にメイルを下さいと言ってきた。  しかしこれらが例外的な動きにとどまった のは、学校関係で利用者が少なかったからで あろう。そのころ日本では、通産省と文部省 の共同で100校プロジェクト(学校でのイ ンターネット利用開発計画)の参加校募集が 行われていたが、まだインターネットで対応 する段階ではなかった。  そもそも当時学校での情報リテラシーと言 えば、自主教材の作成やCAIの利用開発を意味 しており、通信のリテラシーやモラルに理解 や経験のある教師はまだ少なかったであろう。  そういう中で、我々WNNグループも、震災 救援の現場で、学校という組織を飛び越えて 直接に、子ども達と対話をすることとなった。 そこで出てきた具体的な問題は、高校生ボラ ンティアのための情報検索と、学校の運動場 での小学生のこころのケアの問題であった。 ■避難所とそのまわりの地域社会  95年2月中旬には、個人ボランティアも 行政も、避難所の生活支援が主務であったが、 それもいずれ解消されること、また避難所は 点であるから、地域に面の広がりを持つ支援 (避難所を離れた人々へのきめの細かい支援) が今後必要である、との見通しもあった。  その活動を実際に行っていたのは、以前か ら地域に根を下ろして活動していたボランテ ィア団体であった。西宮YMCAはその一つで あった。そこには予備校、サッカー教室、キ ャンプ等の青少年プログラム、そしてLD(学 習障害児)学級等の地道な活動の蓄積があり、 地域社会からも信頼されていた。そこに、イ ンターネットと子どもとの接点もあった。 ■高校生の情報班との出会い  西宮YMCAでは、すでに情報班があった。 新聞の切り抜き等、高校生ボランティアの運 営で、地域住民の問い合わせに答える活動を していた。それにインターネットで協力しよ うとしたが、当初は反発を買うだけであった。  インターネット上のニュースのような広域 性を意識した情報には、もっと地域に密着し た情報を要求された。また検索技術伝達の誘 いには、「俺はひとを助けに来たのであって パソコンを覚えに来たのではない」、とも言 われた。いずれも健全な反応であったと思う。  時間が立つにつれて高校生達は、インター ネットの人(つまり我々)に聞けば、何でも 教えてくれるということになった。  その時我々がやっていた事は、現地でのネ ット担当者が、情報班に質問の御用聞きに行 き、そこで出てきた質問(地域の人からの難 しい質問)をネットに流し、検索協力者全員 (40人程)が、あらゆる手段で検索してそ の答えを返すという、ネットを利用したある 種のオンライン検索システムであった。これ は有効に機能した。この積み重ねから、相互 の信頼関係が徐々に作られた。高校生にも、 インターネットというのは、その上に協力者 がいる、ということが見えてきた。  その女生徒がもう遠方に帰るという日に、 ネットを通して私に伝言があった。「水野さ ん、この頃ちっともきてくれないから怒って いますと伝えといてください」、と言う。反 発していた彼女にも、ネットワークでつなが れるものは協力関係であるということが、よ うやく伝わったのだと、そのとき思った。  反発していた男子生徒に連休の頃に会うと、 自分の活動のまとめを書きたいと言ってきた。  避難所でも、ある種の解放区が現出し、生 徒と教師の思いがけない交流が起こったとい う。大学の教師としても、高校生と直接の対 話や共同作業が出来るとは思っていなかった。 これらは双方のボランティア活動の結果、起 こった出会いである。これを組織的に行う仕 組みは、日本社会には存在していないが、今 後の社会の面白い可能性であると思われる。 ■遊び場としての学校で  95年の1月末から、西宮YMCAでは、近 くにお住いの倉石先生(大阪府立大学社会福 祉学部、西宮YMCAワイズマン)が、毎日、 学生ボランティアによる子どもの指導記録を 添削、指導されていた。これは、西宮YMCA の近隣の8つの小学校に、学生ボランティア を遊びの指導に派遣し、その指導記録ノート 8冊に目を通し、自らも現場指導もされると いう活動であった。この内容を是非インター ネットで、全国に知らせたいと申し出た。  どんな役に立つのかと問われて、答えられ るものではなかったが、とりあえず指導記録 の中から興味深いテーマについて、随筆風に 現場報告を書いて頂き、WNNのメンバーがネ ットニュースとWWWに流した。教育学部系 の学生に議論を期待したが、この分野にはイ ンターネット利用者が少ないらしく、その反 応はなかった。しかしこれを読んだ社会人か ら、このボランティア活動に参加申込もあり、 絵本の寄贈をしたいという連絡もあった。  この中の第3話「Cちゃんとの会話」は感 動を呼んだ。その一部を以下に引用する。 「Cちゃん(小学4年)と会ってから4日目。 (中略)おもむろに彼女は、次のようなこと を話してくれたのです。『私の家、この避難 所のすぐ近くにあるけど地震で全部こわれた の。私はベッドに寝たままのかっこうで4時 間閉じ込められていたの。真っ暗ですごく恐 かったんよ。お父さんが屋根に穴あけて助け てくれた。(中略)おねえちゃんも3時間ぐ らい閉じ込められとったのよ。お母さんも無 事やったけど、お母さんの方のおじいちゃん が死んだ。近所に住んでいたから助けにいっ たけど、いえに埋まってた。足を触ると温か かったから、消防士さんに‘助けて’と頼ん だの。でも消防士さんは、‘声のする人が先 です’といって別の方へ走っていった。後で おじいちゃんはたすけられたけど死んでた。 でも体は温かかったから、消防士さんが来て くれた時は生きていたんじゃないかと思う の。』  Cちゃんとは立ち話でした。私と 彼女はお互いに足で地面の土をこすりながら うつむいたり、(中略)。Cちゃんは話しの 内容に比べて驚くほど淡々と話してくれたの でした。(後略)」   ネットワーク上では、これを読んで涙が出 てきた、と正直に書いてきたグループメンバ ーもいた。この文章の全文は、以下にWWW で公開されている。 http://www.osaka-u.ac.jp/ymca-os/mcare/ mcare3. html ■西宮の子どもたち、ニュージーランドへ  5月になると、各地で余裕のある企画も始 まり子ども達も参加した。西宮ではニュージ ーランド政府や多くの関係者の協力もあり、 神戸を知る地元議員T.Hubberd氏らの計らいで、 子どもの心のケアのホームステイが実施され た。西宮YMCA近隣の小中学生90人を対象 とし、ニュージーランド、ワイヘケ島へ、各 班30人で3回の派遣企画である。WNNメン バーもインターネット特派員として同行した。  大自然の中で遊ぶのが目的であったから、 インターネットは子どもに見せなかったが、 現地から送られるデジタル写真は次々に WWWで公開した。滞在の最後には、小型 CCDカメラと簡易テレビ会議ソフトCU-SeeMe で、現地の子ども達と日本側(西宮、大阪、 筑波の3箇所)との交信実験を行った。私は 大阪でモニターしていたが、あのときの子供 達の驚いた表情と、我々の操作担当メンバー の余裕のある笑顔が、今でも忘れられない。  これは、NASAが日常的にインターネットで 宇宙飛行の様子を流す技術と同じであるが、 このような経験が、こどもの心に何を与え、 そこから何が育って行くか、楽しみである。 ■サハリン地震と神戸の子ども達  5月の末には、サハリンで大地震が発生し、 この救援活動の様子がまた、インターネット を通して神戸の子どもにも届くことになった。  WNNグループは、インターネット利用によ る救援活動のノウハウを蓄積していたので、 最初のサハリン派遣団体(医療NGOのAMDA) と直ちに連絡をとり、後方支援を申し出た。 AMDAの医師から入る詳細情報は貴重であり、 これを直ちに英訳、ネットニュースとWWW で提供し、世界的にも反響を呼んだ。この情 報をインターネット上のメイリングリストに も流したところ、マスコミよりも早く情報が 飛び込んでくることに感銘を受けられた神戸 の高校の先生がおられ、学校の講話で、この 話しを取り上げて下さった。神戸の松蔭女子 高校(中学)の芦塚先生である。これを聞い た生徒が、神戸の私達もお返しをしたい、と 反応して募金を送ることになった。AMDA活 躍の情報は近隣の男子高校にも入り、6月2 5日には8校が合同で、神戸・高校生ボラン ティア連絡会議を開催、街頭募金活動を行な った。これは7月から8月にかけて何回も報 道され、‘学校の枠越えスクラム’なる表現 で、非常に好意的に社会に受け入れられた。 ■広域の情報交換とインターネット  このような思いがけない展開に興味を持ち、 私は松蔭の芦塚先生らに連絡をとり、募金を してくれた中学生や高校生ボランティアに、 8月のある日、交流会をもって話しを聞いた。 インターネット上でどんな情報交換が起こっ ているかを説明しようとした。中学生は WWW上の被災地地図に興味を示し、高校生 はWWWでの情報提供に興味を示し自分達の バザーの宣伝をやりたい、と言っていた。  しかしなぜ、こんな交流まで起こったか?  私事ながら私の高校時代は大学紛争の最中 であり、他の高校と活動するなどというと教 師は血相を変えていた、そんな時代であった。  しかし、この大震災の後の学校の避難所経 験は、学校の管理的側面を自然に壊し、制服 も一時期は、なくなった。不登校の生徒達も 皆出てきたところもあった。地域社会と学校 の垣根も取り払われ、話し合いでトラブルを 解決するという文化も育ったという。大震災 はこれを社会全体の共通経験としてしまった。  大災害救援は、広域の文化的交流を要求す る事態である。従ってそこでは、インターネ ットの広域情報交換の技術と文化(そういう 経験を日常的にしているボランタリーな人々 の存在)が威力を自然に発揮し、学校が(あ るいは生徒が学校の枠を越えて)さらに広域 に連帯することを、当り前にしてしまった。  これはおとなの文化や社会とインターネッ トとの関係や状況の反映である以上、我々に はどうコントロールすることもできないと思 われる。それは無秩序なカオスからの創造と いうのでもなく、空間や世代や文化的相違の 制約がない自由なコミュニケーションの可能 性を示唆している。しかしこれは、従来の学 校の状況とはかけ離れている。  インターネットはとにかく歓迎、こまるの はアダルトページだけ、というのは、あまり に素朴である。問題は、この自由な特性をど う考え、どう生かすかということである。  この自由さがどこまで社会に支持され、好 まれる状況となるかは、まだ誰にも判らない。 教師の側にこの事態に対処できる文化が育っ ていなければ、インターネットも結局学校で は利用出来ないかもしれない。しかし子ども たちは、インターネットが当り前の技術であ るということを知りながら、育っていく。  最後に、今後の社会とインターネットとの 関係を考える上で、学校や地域社会を巡る2 つの変化の可能性を指摘しておきたい。 ■100校プロジェクトとインターネット  平成7年度から、全国で100の公立の小、 中、高校にインターネットが整備され、利用 に関する実験や経験交流が、組織的に始まる。  社会の新しい技術は、従来も放送教育に始 まり、LL教室、パソコンなど、登場する度 に学校に取り入れられてきた。インターネッ トも、結果的には大きな変化をもたらさない かもしれない。  興味があるのは、子ども社会の必需品ファ ミコンが、インターネットのWWWのような インターフェイスとほとんど区別が出来ない ことである。これは逆に言うと、教師の側に もゲーム感覚が要求され、スピードや自由度 の大きさを生かす工夫で容易ではないが、誰 でも働きかければ確実に反応が得られるとい う世界を、全員が落ちこぼれなく楽しめる教 材が得られた。これによって期待されるのは、 生徒達のさまざまな自信回復と、コミュニケ ーションを生かす機運である。 ■地域防災計画とインターネットと学校  災害時の有効性が証明されたインターネッ ト(パソコン通信)の利用は、通産省の進め る災害情報システムの外部仕様書の策定にも 盛り込まれる予定である。  兵庫県のモデル都市では、情報システムが 平成8年度中にも実現し整備されるであろう。 この中心は、まず行政インターネットの整備、 そして同時に、避難所候補地である公立の小 中高等学校でのインターネット利用である。  これも自由度のあるインターネットである から、平常時にこれをどこまで開放的に(学 校や公民館を通して)市民が活用できるかと いう点で、このシステムが生きるか、あるい は利用が低迷するかが決まるであろう。  この利用は、社会の中に、知的好奇心が旺 盛で自主的に情報を出したいという人々をど こまで増やせるか、またそれによって結果的 に形成される「コミュニケーションのある民 主社会」というものへの期待の大きさによる。  その普及を掛ける役割を担っているのは、 まず行政、学校であり、利用の先駆者である 大学や大企業の協力も期待される。  今回の阪神大震災を契機として、日本中の 誰の目にも、行政や学校の可能性と限界が見 えてしまった。一般市民も、そして子ども達 も、すでにこういう、「コミュニケーション のある社会」を欲し始めていると、私には思 われる。  市民にも、子ども達にも愛されるネットワ ークを、作っていきたいと思う。 --- Newsgroups: tnn.interv.disaster.network From: ymizuno@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) Subject: Notes on WNN group (5-1) Date: Wed, 31 Jan 1996 15:37:24 GMT Message-ID: <1996Feb1.003724@rcnpax> WNN の水野です.WNNグループの紹介です.最後は,以下のものです. 5)私が「季刊 兵庫経済」という雑誌に投稿させていただいた原稿(これはほぼ 最終原稿に近いもので,出典を明記して転載ということで了解をえています。) 「インターネットと情報ボランティア −これまでとこれから−」 この最後のものに,この場でいままで議論されてきたことの一部への,私なりの 回答めいたことも,見いだされるかも知れません。ご照覧を戴ければ,幸いです. −−−−−−−−−−−ここから: インターネットと情報ボランティア −これまでとこれから− 水野義之 大阪大学 1.はじめに  先の阪神淡路大震災では、情報技術者を含む130万人もの人々が様々な形 で、ボランティア活動を体験することになった。その体験の予想外の結果の一 つが、大災害時の通信手段の一つとしてパソコン通信やインターネットが意外 に役立つことの発見であったと言える。実際には,それが役に立った人(ネット ワークが使えた人)の数は少なかったのであるが、それでもこの結果は、例えば 1995年7月に改訂された国の「防災基本計画」(中央防災会議)の中にも盛り 込まれ、これによって正式に、各自治体によるパソコン通信(インターネット を含む)の利用が防災計画の中に位置付けられ、その利用が要請されることに なった。  パソコン通信やインターネットを積極的に活用してボランティア活動を行う 人々を、情報ボランティアと呼んでいる。筆者も微力ながらその観点から、大 阪大学の下條先生と協力し、インターネットによる情報ボランティア活動に 多少とも関わることとなった[1]。筆者を含めて物理学研究者は、研究生活 の上でも積極的なインターネット利用者が多い[2]。大阪大学のモットーは 「地域に生き世界に伸びる」であり、これを一教官のボランティア活動として 見ると、日常のネットワーク利用を共通項とする、ゆるやかな地域貢献、社会 貢献の活動と位置付けられよう。  商業利用が始まる前のインターネットは、情報系を中心とする学術研究系の ボランティアによって発展してきたボランティアネットワークであった[3]。一 方ボランティアは「もう一つの情報社会」とされる[4]。ボランティアとは、感 ずる所あって自主的に新しい人間関係を作ろうとする中で生まれるが、電子ネ ットワークでも同様であり、自主的にボランティア精神を持って参加すること で初めて人々を繋ぐことが出来る。  ボランティアレベルの市民活動や地域コミュニティの近年の動きは、今後の 政治や経済にも影響を与えるとされる[5]。アメリカはすでにそのような社会で あるという。報告[6]によれば,アメリカのNPO(Non Profit Organization, 民間非営利組織)は1987年の統計で130万団体, 員数は全米の公務員約680万人を越え,その「経済効果」はGNP の15%に上る。アメリカでは政府情報公開に先立ち 民間団体の情報化も進んでいた[7]。翻って日本では市民団体 の情報化は遅れているが、その情報化の支援も最近は情報ボランティアが行っている。  日本の行政レベルでは、平成7年度から通産省の災害情報通信システム[8]の整備 が進み、そのモデル都市では避難所となる市内の全学校にネットワークが導入さ れる。これは地域コミュニティでのネットワーク利用を促す契機となる。郵政 省のテレトピア計画でも同様の配慮がなされている。  時期的には、先の大震災は日本のインターネットの民間利用の展開期にあた る。またボランティアについても、同様の展開期にあったと見ることが出来る。 このような時期に生まれた情報ボランティアは、今後のネットワーク利用の 様々な問題を先取りした面もあった。そこで本稿では、社会の中でのインター ネットと情報ボランティアをめぐって、大震災とのかかわりからこれまでの経 緯を整理し、これからの問題についても考えてみたい。 2.インターネットとコミュニケーションある社会  阪神淡路大震災の当時は、まだインターネットは社会一般には殆ど知られてい なかった。1994年の夏前には、米国のNII(National Information Infrastructure) 計画に関連して、日本では郵政省から日本版の情報ハイウェイ計画が打ち出さ れた。しかしその利用については、社会的にはまだよく理解されていなかった かもしれない[9]。 2.1)1995年のインターネット  全世界のインターネットの利用者は、1994年1月に約2000万人、9 5年4月に5000万人を突破し、秋には7000万人と推定され、年間増加 率は約2倍とされる。日本ではこの時期、インターネット商業利用のサービス プロバイダーの数も増え、95年4月には約30社であったものが、11月に は約80社になった。日本のパソコン通信の利用者数は、94年約260万人、 95年に約370万人(前年度比増加率は各々約30%、40%)であり、イ ンターネット利用者数はいずれこれも追い抜くとされる。フランスのネットワーク 端末であるミニテル の利用者数は、94年には650万人を越えている。日本でも、ネットワーカ ー1000万人の時代が間近とされる(この時、ほぼ3軒に1台のネット普及 率となる)。  大震災後の救援、復旧、復興の年でもあった1995年は、時期的には偶然であ るが日本で、インターネットやパソコン通信がこれから普及しようという時期 と重なっていた。逆に言うと、1995年の当初はまだまだ利用者が少なかっ たと言える。 2.2)1995年とボランティア}  ボランティアという言葉が、日本社会で最初に認知されたのは、1978年 カンボジア難民救済活動での日本のNGOの誕生とされる。その後1990年湾 岸戦争での日本のNGOの登用があり、さらに若い世代へのボランティアの認知は、 国連ボランティアとして殉職された中田厚仁氏(大阪大学法学部卒) [10]の影響が大きかったと思われる。  1995年という年は、ボランティアという言葉にも、社会が馴染み始めた 時期であった。震災救援ボランティアは、延べ130万人に上ったという[11]。 当初どこの行政も、情報技術者のボランティア募集など行わなかったが、情報 技術をボランティア活動に生かしたいという情報ボランティアが現われたのも 当然であったといえよう。  阪神淡路大震災の被害は局所化しており、被災地の内と外では問題の認識が 非常に異なる。しかし共通していたのは、これを機会に社会全体をもっと高度 な(もっとよく考えられた)システムにしなければならないと誰もが感じた点 であろう。この問題の背景は、我々が税金を通じて仕事を任せている行政の公 益活動の在り方とも関係があった。その反省として全国各地で種々のレベルで、 地域防災活動や地域コミュニティ、福祉の問題についても、見直され関心が持 たれている。 2.3)これから  この震災はパソコン通信やインターネットの利用者にも多くの事を考えさせ た。アクセス集中時の技術的問題や、溢れる情報の整理の問題もそうであるが、 広く言えば、社会の各階層のコミュニケーションの重要性に気がつくことにな った。このような反省に対応して行政システムでも、地域社会やボランティア 組織の役割の見直し、情報通信システムの整備等が進もうとしている。  「ボランティア」の原点は、「ほっとかれへん(ほっておけない)」である と言われる[12]。その意味では、情報ボランティアも、生まれるべくして生ま れた。また情報ボランティアは 期せずして、近未来の社会におけるインターネット(パソコン通信) の利用に関する問題点を先取りして体験することとなった。この体験を、今後 の社会システムの見直し作業に活かして行くことが大切であろう。 3.情報ボランティアは何人いたか?  「情報ボランティア」を敢えて定義するならば、情報技術とボランティア精 神の両方を持つ人々であると言うことができる。しかしここでいう情報技術と は、電子メイルやネットニュースを自由に読み書き出来る程度で十分である。 従って特に高度の情報技術者である必要はないが、高度の知識を持った人々の 参加もあった。総合すれは、情報ボランティアになりうる人は、ネットワーク を利用するほとんどの人であると言える。 3.1)インターネットが役に立った人々  大災害における被災地からの情報発信の難しさは、マスコミに乗って全国に 伝わり、同時に被災地への情報伝達の難しさにも多くの人々が直面した。この 時、インターネットやパソコン通信を普段から使っていた人々は、何の不思議 もなくそれをそのまま救援活動に転用し、活用できた。これに積極的な人々は、 おそらく数千人の規模で現れた。通信手段としてアマチュア無線を活用したチ ームもあった[13]。  震災救援活動の展開に伴うインターネットやパソコン通信の活用事例や反省 等については、すでに多くの報告[1,14-30]が行われているのでここでは詳しく触 れない。  パソコン通信等の通信手段が、このような震災救援活動において、これほど 役に立ちうることは、当時としては予想外であり、その話題性のためにマスコ ミの好意的報道も多数あった。このような経験を社会的なものとするためには、 これらの活動を積極的に評価することは重要であろう。神戸新聞社の情報セン ター長、光森氏の言葉を借りれば、パソコン通信やインターネットは大災害に おいて「役に立つことが分かった」と評価すべきである。例えば神戸市内の状 況を写しだしたWWW(神戸市立外国語大学のサーバー)へは、地震発生後2 0日の間に50カ国からアクセス数が約36万件あった。これは WWWへのア クセル数としては非常に多い。 3.2)インターネットが役に立たなかった人々  しかし実際には、そのような活動には苦労も多く、大変な活動となった。ま たそれがどれだけの数の人の役にたったかというと、その割合は決して多くはな かった。震災当時は、まだネットワークが使える人は少なかった。4月頃の統 計では、パソコン通信が役に立った人は、朝日新聞の調査では0.5%、兵庫県の 調査でもわずか0.4%であった[26]。  例えば神戸大学のWWWでも、当初アクセスが集中した(毎日2000件程 度)。しかし大学本来の業務回復とともに、神戸大学の情報ボランティアや教 官には情報更新の余裕が維持できず、その結果アクセス数は徐々に減少した。 NIFTY-Serveの震災ボランティアフォーラムにアクセスした人の数は、最終的 な延べ人数でも約25万人の程度であった。これはNIFTY-Serve会員(199 5年夏に100万人を突破)の半数以下である。NIFTY-Serve以外のBBS利用 者とインターネット利用者数を合わせてこれと同数程度であったと仮定すると、 震災当時、電子ネットワークを活用した人の数は、日本人全体でも、50万人 の程度であったことになる。これは先に引用した数の0.5%という割合とほぼ一 致する。役に立った人が50万人もいた、と言うことが出来るし、それは全人 口のわずかに0.5%に過ぎなかったとも言える。 3.3)インターネットは使える人に役立った  重要なことは、電子ネットワークが利用出来た少数の人には、それが非常に 役に立った(従って「役に立つことが分かった」)、という事実である[23]。 すなわち電子ネットワークは大災害に強く、緊急時にそれが使える人には、マ スコミよりも役に立つ、という認識である。  インターネットはもともと技術的にも災害に強い。またその特性として広域 性、即時性、双方向性、記録性の良さがあり、これとマルチメディアへの親和 性の高さ等は、時間空間や世代、組織等の壁を越えて、大災害時にも有用であ ると言ってよいであろう[24]。  問題は、それが利用出来るかどうか、ということに尽きる。 4.情報ボランティアの地域性と専門性   まず、被災地の大学で情報通信システムがあった所は、システムは無事であ った。神戸大学では、化学薬品のチェックが済むまで学内の電源が入れられず、 電気の「復旧」に1日かかったのみである。  その中で,情報ネットワーク上では, 神戸市立外国語大学(神戸市の情報サーバー)の素早い対応(普段 から使っていたからである)と、神戸大学の大学再建のための真摯な取り組み (これも普段から使っていたから可能であった)は、高く評価されている。神 戸大学からは、ネットワークを利用して協力の参加呼びかけが行われ、そのメ イリングリストには約200人が参加した。これは特に、学生に自由な活躍の 場を与え、また社会人にも開かれた貢献の場所を与え、学生と社会人の 交流の場ともなった。またこれらは、海外からの反応伝達と 海外での世論形成のための情報源としても大きな影響力を持った。  同時多発的に各地で、自主的、自然発生的な情報系ボランティア活動が数多 く生まれた点も興味深い。  情報ボランティアの支援方法を分類すると、大きく分けて4つほどが生まれ たようである[19]。これらは地理的に(支援者が住んでいる地域によって)、 支援の発想が自然に異なっていたことによる。そしてこの地域性の違いと、技 術的専門性の違いによって、相互の役割分担が行われたという見方ができる。  その4つの支援方法とは、1)既存のメイリングリストでの活動、2)現地 グループを主体とする直接的情報支援活動、3)大阪以遠に位置するグループ による現地団体の情報化支援活動、そして、4)東京からのグローバルな発想 による情報インフラ整備の支援活動、この4つである。 4.1)既存のメイリングリストでの活動  まず第1に、日本のWWW管理者を中心とする情報技術者の情報ボランティ ア活動があった。既存のメイリングリストを利用しつつ、WWWサーバーの負 荷分散に関する分析と対応、電子メイルとFAXのゲートウェイ提供、被災地の オンライン地図化への協力などなど、情報技術者らしい開発や提案が多数行 われた。このグループの参加者は約700人程度であった。既存のメイリング リスト上で同様に積極的に議論が展開されたのは、物理学の若手研究者(参加 者約200人)である。その関係者の有志が情報技術者と協力して、後に述べ るWNN(World NGO Network)グループも生まれた。 4.2)現地グループを主体とする直接的情報支援  情報ボランティアの第2は、現地活動のグループである。これは外部から被 災地まで頻繁に行ける人々による情報支援であり、外部から現地へ(現地情報 の鳥瞰的収集と再編集によるニュース配信)、現地から現地へ(避難所調査、避難所 連絡、地域行政との連絡等)、そして現地から外部へ(避難所レポート、代理 投稿、市政だよりの電子化等)という動きである。情報好感と行動の連携のために、 主に接続の容易なNIFTY-Serveなどのパソコン通信が組織的に利用され、それ にネットワークでつながる遠隔地の人々が協力した。  初期のNIFTY-Serve利用と現地活動で気を吐いた情報ボランティアグループ (情報VGと呼ばれた)、より大きな組織としてNIFTY-Serveを活用し機能したIVN (Inter Volunteer Network)、郵政、通産、兵庫県、企業ボランティアと市民が協力 した兵庫県震災ネット[27]、VAG (Volunteer Assist Group) [28]、等の活動が展開 された。グループの規模は各々40〜70人程度である。慶応大学SFCからは、 得意のコンピュータ利用を活かすべく多数の学生(神戸に70人、淡路島に3 0人程)が現地に乗り込み、支援活動が3月末まで行われた。淡路島には、 徳島大学の干川先生らのご努力もあり,イ ンターVネット (下記参照)が活用できる拠点も出来、現地活動が展開さ れた。  VAGグループは神戸を中心として、震災1年後も支援活動を継続している。 彼等は、全国版のマスコミからは早々と姿を消してしまった被災地の詳細情報 (神戸新聞の記事転載など)を継続的に電子ネットワーク上で発信し続けてい る。これは今後のマスコミの在り方にも一石を投ずる可能性があると思われる。 4.3)大阪以遠に位置するグループによる現地団体の情報化支援  情報ボランティア活動の地域性で見た第3は、大阪以遠に位置するグループ である。直接の被災現地からすこし離れた場合には、また違う発想の情報支援 が行なわれた。ここではWNN(World NGO Network)グループについて紹介する。  この程度の距離から継続的に支援出来ることは、被災者の直接的支援ではな く、現地支援に活躍するNGO/NPO団体の組織的作業の情報化に対する、後方 支援活動であった。これは震災の初期段階で明らかとなったように、組織の情 報化の遅れが救援の初期活動に様々な非効率をもたらした、とする反省に基づ いている。  例えば震災後の大阪YMCAは、当時非常に効率的、組織的に活動していた「応 援する市民の会」の大阪事務局であったが、インターネットで繋がるような広 域の連携は行われていなかった。しかし大阪YMCAは、平時においては関西 NGO協議会加盟24団体の連絡窓口でもあった。そこで、大阪YMCAの主任の 一人である笹江氏と、大阪大学大型計算機センターの下條先生と筆者が相談し、 インターネットを大阪YMCA、西宮YMCA、神戸の地元NGO救援連絡会議(神 戸の160のNGO団体等ボランティア団体の連絡組織)のような中枢組織の情 報支援に、試験的に採用するという方針をとった[1,16-25]。  この活動では、Apple社と大阪朝日放送の協力を得て貸与されたMacを各拠点 に持ち込み、PPP接続により阪大の下條先生の研究開発用ワークステーション をアクセスポイントとして公衆網でloginし、そこからインターネットの世界に つないだ。このようにしてNGO/NPO団体(民間非営利団体)の情報通信の支 援を行ない始めたサポートチームを、「ワールドNGOネットワーク(WNN)」と 呼んでいる。  当初は、インターネットを使える情報系の協力者はNGOの世界を全く知らな かった。またNGO団体は、インターネットをどう使ったらいいか全然わからな かった。しかしこの両者の経験の交流から、様々な新しいものが生まれること となった。なによりも現場の作業を、今まで出会うことが無かったであろう別 世界の人々が、共同で行うことによって、我々は現場の問題を理解し、彼らは インターネットでつながる世界を理解した。 このWNNグループは、メイリングリストやWWWでの活発な情報交換、情報支援を 行いつつ、震災後1年を超えて活動を継続している。参加メンバーは,優れた 技術を持つ技術者ら約25人を初期の出発点として多分野から計80人程度である。 上記の3拠点を中心として震災救援活動での情報化支援を巡る種々の試みや インターネット利用の技術を生かした情報提供をおこないつつ,例えば 西宮の子供達90人のニュージーランドこころのケアの旅の支援, サハリン震災での医療NGOのAMDA支援など、必要や状況に応じて インターネットを活用しつつ,多種多様な支援活動を行ってきた。 さらに最近では「NGO/NPOのためのインターネット情報活用セミナー」を開催し、 インターネット体験のためのMac貸与や,NEC/meshらプロバイダーの 協力によるアカウント援助や技術協力にも発展し、これまでに20以上の ボランティア団体の情報化について支援活動を行ってきている。 4.4)東京からのグローバルな発想による情報インフラ整備の支援  情報ボランティア活動の地域性で見た第4は、東京など被災地から遠く離れ ている場合である。この距離からの自然な発想として生まれたのは、グローバ ルな情報インフラ整備のための支援活動であった。これはインターVネットと いう名称で親しまれ、インターネットとパソコン通信各社に共通する議論の場 を電子ネットワーク上に提供する仕組みの提案である[20,29]。慶応大学の金子 郁容先生らのご努力と関西の関係者各位の協力の賜である。これはその後、郵 政省と電子ネットワーク協議会の特別部会において、緊急時におけるパソコン 通信各社の連携の議論へと進展しており、その影響は大きい。また別の発展と して、95年5月にはインターVネットの運営主体はVCOMという名称の組織 となり、インターVネットを活用したボランタリーな「情報コミュニティ」を 生かすプロジェクトが幾つか提案されている[30]。これは3年間継続される。 4.5)情報ボランティアは必要か?  例えば今後いつの日か、関東地方に大地震が起こった時、もし行政もマスコ ミも今回の阪神の時のような(即ち想定を超えて対応が出来ない)状態であっ たとしよう。するとその情報流通支援のために、情報ボランティア活動が再び起こる であろう。その時は、その被災地を中心として、上記のようなグループ相互の 地域性と専門性の違いから、自然に棲み分けが生まれると予想される。  またその時々に利用可能な情報技術の状況から見て、もし行政やマスコミ、市民 団体等の情報化が遅れていると判断されれば、人々は再び情報ボランティアと して情報化の支援を行うかもしれない。  WNNグループの情報ボランティアの一人は、神戸の実家が半壊したのであ るが、現在東京に住みながら関西の市民団体(ボランティアのコーディネート が出来る)のインターネット利用を支援している。その理由は、自分が今度東 京で震災に遭ったときに、関西の情報化されたボランティア団体に助けてほし いからだ、という。  今までの情報ボランティア活動の中ですでに幾つかは、社会の中のインター ネットやパソコン通信の運用システムに採用された。あるいはネット上の予行 演習という形も提案され、あるいは行政システムの中に社会資本の一つとして 徐々に取り入れられることになった。  予行演習として次の例を紹介をしたい。1995年10月に医療NGOの AMDA (Asian Medical Doctors Association、岡山市) を中心として数団体の緊急医 療NGOが、「72時間ネットワーク」という連絡組織を結成した[31]。AMDA では自前の専用線とサーバーを持ち、95年9月からはWWWも立ち上げてい る。72時間ネットワークでは同年12月に早々と、東京での大震災を想定し、 緊急医療活動とインターネット利用の訓練を行った。都内の光景のデジタル写 真をパソコン通信を経由して、岡山にあるAMDA本部に送りWWWに掲載する まで、わずか10分で出来たという。  社会の各層の情報リテラシーが十分に向上して(あるいは通信ハードウェア の発達により)、誰でも何処でも、いつでも、どこへでも自由な連絡と情報収 集ができるようになれば、ここでいう「情報ボランティア」など不要になると いう議論もある。  しかし経験を社会資本に埋め込む努力は、今後も必要であろう。そのような 活動の継続は、災害に対する人々の想像力を鍛え、社会の強さを作り出す役割 を果たす。ボランティア活動を、行政システムや社会資本に埋め込むのは理想 であるが、同時に間違いでもある。結局のところ情報ボランティアのような活 動も、敢えて残すべきであろうと考えられる。  社会全体の効率(行政への委譲)と活力(ボランティア活動の維持)のバラ ンスを考えると、行政と民間ボランティアとの意識的な棲み分けが必要である。 インターネットはこのような関係作りを可能とするが、コミュニケーションと 相互理解の難しさは今後も課題として残る。これはコミュニケーションそのも のによって解決する以外には、方法はない。  産官学民すべてについて関係改善が必要である。現状は、あまりにも相互を 知らない。災害救援の在り方は総体として、社会全体の文化状況を反映したも のとならざるを得ない[32]。情報ボランティアのこれからの問題を考える時、 情報流通を媒介しようとした活動を通して、社会全体のコミュニケーションの 在り方を考えることに繋がる。   5.情報ボランティア活動の反省と提言 5.1)反省  震災の初期には、見るに見かねてパソコンをかついで現地に乗り込んだ若者 もいた。しかし数十万人の被災した人々を前に駆けずり回り、途方に暮れるば かりであったという。大災害においては、問題全体の定量的把握と評価がまず 重要である。  ネットワーク利用において 次に重要なことはチームワーク、他の団体との連携と役割分担である。さら に、広い分野で活動に関心のある人々を発掘し、分野を問わず普段からメイリ ングリストとWWWの連絡網で繋いでおくことが有効である。  しかしメイリングリストは繋がり方がフラットであり、時としてそのグルー プとしての意思決定は困難である。同じグループが複数のメイリングリストを 運用し、何らかの階層的構造に同じ人が徐々に複眼的に属して、情報の了解と 階層的意思決定の両者を可能とするような工夫が必要である。しかしこれは膨 大な数のメイル処理という問題を招くであろう。またメイリングリストでは議 論に非常に時間がかかり、相当のリテラシーを持つ人々の間でも誤解が時とし て起こる。これは、ネットニュースでも経験することである。WNNグループ の様なネット上でのバーチャルな組織運営では、メイリングリストとWWWだ けでは問題もあることがわかっている。ネット上の適切なコーディネータが必 要かつ非常に重要であるが、その負担は相当のものである。ここでもオンライ ンの議論とオフラインミーティングの適当な組み合わせが有効であるが、ボラ ンティアとしての限界があり、未だ理想の答えは得られていない。これがネッ トワーク型支援の問題の一つである。  さて1995年2月には、通産省と郵政省 からは複数の企業と企業ボランティアの協力のもと、兵庫県に パソコン約200台が配布され、避難所でのパソコン通信による情報収集(閲 覧のみのID設定)に利用しようと試みられた。素晴しい提案と評価されるが、 利用者教育の段階で思わぬ多大の労力を費やすこととなったという[27]。  震災の1週間後には郵政省の提案で、安否情報確認のために郵便葉書を避難 所に総計50万枚配布し、その返事を電子化してネットワークでの安否確認 に利用することが提案され 試みられた[13]。しかし被災者からの反応はいま一つで、返事はわずかに60 0枚余りであったという。  先般の震災で、反省がなかった事例はない。電気の復旧は比較的早かったが、 問題が大きかったのは、電話、FAX、交通、緊急医療体制や消防、自衛隊、政 府の対応から始まって、安否情報、マスコミ報道、物流管理、救援物資の活用、 ライフライン復旧、トイレの問題、避難所運営、行政とボランティア、地域社 会と学校、教育と受験、高齢者、障害者、外国人、子供ら弱者の問題、こころ のケア、ペットの問題、義援金と見舞金、仮設住宅と避難所解消、マンション や家屋の再建、都市計画、交通の復旧、経済再建と職探し、大学関係者や専門 家の対応、そして海外への対応などなど、大げさに言えば日本社会を挙げてそ の問題の推移に注目し、必要な対応に各界が努力したといえる。しかし、その 成果にはなお反省すべき点が多い。  ネットワークと情報ボランティアの反省については、比較的論理的に問題点 が考察され、反省や提言もすでに発表されている[14,15]。これは今でも貴重で あると判断されるので、以下に引用しておきたい。 5.2)提言  1995年3月24日に開催された、日本ソフトウェア科学会の緊急チャリ ティーシンポジウム「兵庫県南部地震の時インターネットで私たちはどう行動 したか」での提言(部分)は、以下の様である[15]。 [インターネットをもっと役立てるための提言] 1.自然発生的でない地域ネットワークを見直す 2.行政が情報収集や意思決定をするためのグループウェアの開発と利用 3.放送メディアとインターネットの補完関係を模索する 4.災害時に避難所となる可能性の大きい学校をネットワークで接続する 5.学校現場にコンピュータを通信機器として持ち込み、インターネット、 パソコン通信教育を学校で行う [インターネット上の情報流通をスムーズにするための提言] 1.情報の電子化、緊急時の情報公開を行政に働きかける 2.大規模災害に備えたニュースグループを常設する 3.データの著作権を明確にしておく 4.情報を端末で整理し検索できる人材を育成し、被災地へ派遣できるよう にする 5.情報を整理しやすくするために記録フォーマットを統一する 6.119番サーバーを設け、防災の日などに緊急連絡の訓練をする 5.3)組織の情報化支援の問題  ボランティア団体(NGO/NPO団体)の機動性と有効性に注目し、大規模な 災害救援活動の効率向上に備えて、今後は中枢的団体から順に情報化が進行で きると効率が良いと考えられる。同上のシンポジウムで大阪大学の下條氏は、 WNNグループの活動の初期段階に触れ、NGO/NPO団体の情報化の難しさにつ いて、次の様に分析している[1]。 1.これらの組織は、インターネットを使うための技術を何も持っていない 2.日々の活動が忙しく、インターネットを使うための人材、時間的な余裕が 無い。 3.情報技術に関する理解がなく、また、どのように使うべきかもわからない。 4.組織が情報技術を使うような体制になっていない。  さらに続けて「まあ、当然といえば当然のことである。これはかつて我々が 電子メイル等のインターネット技術を最初に導入するときに経験したことその ものである。」としている。  WNNグループでは、上記のような反省やその後の経験をもとに、ボランテ ィア組織の情報化支援には次の条件が必要であると考えている。 1.組織の責任者が情報化の意義を理解し推進する意思がある。 2.組織内部の操作担当者が情報技術に興味と意欲がある。 3.インターネット上で伝達したい企画と素材(電子化した資料、音声、画像等) がある。 4.支援側の担当者は責任を持ってサポートや相談にあたり経過を報告する。  この条件を満たすのは難しいが、逆にどの一つが欠けてもうまくいかないよ うである。  ボランティア団体の活動では、連絡を取りたい相手や他団体が大抵の場合、 広域に存在する。このため情報化やネットワーク化に対する潜在的ニーズは、 行政組織等に比べても、比較的高いと判断される。ボランティア団体や市民団 体については、今後のネットワーク化の発展をある程度展望することが出来る。 (つづく) --- Newsgroups: tnn.interv.disaster.network From: ymizuno@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) Subject: Notes on WNN (5-2) Date: Wed, 31 Jan 1996 15:47:00 GMT Message-ID: <1996Feb1.004700@rcnpax> WNNの水野です. WNN紹介に関連する書き物の最後(その後半)です. 内容は: 5)私が「季刊 兵庫経済」という雑誌に投稿させていただいた原稿(これはほぼ 最終原稿に近いもので,出典を明記して転載ということで了解をえています。) 「インターネットと情報ボランティア −これまでとこれから−」 この後半です. −−−−−:(続き) 6.学校と地域防災計画における「情報ボランティア」  従来の学校は、避難場所であり、場所の提供だけが考えられてきた。今回の 震災で学校は、避難所としての機能をある程度は考えざるを得なくなった。地 域コミュニティの中心的な拠点の一つとして学校を考えると、学校でのネット ワーク教育は、地域社会の通信リテラシー向上に直結する。  また、行政が整備を進める「防災情報システム」などにより、公共施設(学 校を含む)に通信ネットワークの設備が整備される。これは、学校教育にも関連 させて地域社会の通信リテラシー向上に生かす工夫が望まれる。 6.1)100校プロジェクトとインターネット  通産省と文部省の合同プロジェクトとして平成7年度から、全国で100校 の公立の小、中、高等学校にインターネットが整備され、利用に関する実験や 経験交流が、組織的に始まっている。従来も社会の新しい技術は、放送教育に 始まり、LL教室、パソコンなど、登場する度に学校に取り入れられてきた。 その意味ではインターネット利用も自然な動きであるが[33]、今回は子供の世 代におけるネットワークやコミュニケーション能力の組織的向上が期待出来そ うであり、非常に興味深い。  子供にとっても電子メイルは面白い。また子供にとってWWWとは、「ゲー ム感覚で楽しめる」ものであり、あるいは「世界旅行ゲーム」のように見える という。こういう感覚は救いである。  100校の募集に対して、全国で1500余校もの応募があったが、その後 の利用開発も比較的順調で[34]、最初の半年で約8割の学校でWWWが立ち上 がっている。各学校内部ではネットワークへの理解はまだ不十分というが、研 究発表会や、授業での取組で熱心な先生が多く、今後が期待される。  関西地区では、大阪大学人間科学部の山内先生、徳島大学工学部の大家先生 らがボランティアでメイリングリストを管理され、運営に協力されている。大 学の支援であり運営はオープンである。例えば筆者もそのメイリングリストに 参加できており、学校の先生方と筆者とのコミュニケーションも成立している。  親の中にはネットワーカーや情報技術者もおられるであろう。このような 人々も「情報ボランティア」として、学校でのネットワーク教育に協力すると いう形態も可能であろうかと思う。今後はこのような「情報ボランティア」の 実践報告を期待したい。 6.2)地域防災計画における情報ボランティア  災害時の有効性が(情報リテラシーを持つ人に対して)証明されたインター ネットやパソコン通信の利用は、国の「防災基本計画」に盛り込まれると同時 に、平行して通産省が平成7年度に推進する「災害情報システム」整備の外部 仕様書にも盛り込まれた。後者は、各都道府県の防災情報システムの具体的モ デルとなるものであり重要な動きであると思われる。  報道によれば、通産省以外にも郵政省、厚生省、自治省、気象庁、科学技術 庁、防衛庁等でも、関連機関の防災システムの情報化、ネットワーク化の推進 が計画されているという。通産省の災害情報システムは兵庫県において整備さ れ、そのモデル都市は平成7年秋には決定し、三木市、宝塚市、淡路島の洲本 市、五色町の4市町が選ばれている。  これらのモデル都市では、平常時にも利用出来る災害情報システムが平成8 年度中にも完成する。この中心は、まず県庁、市役所関連施設での行政インタ ーネット整備である。同時に、災害時の避難所候補地である公立の小、中、高 等学校や、公民館、福祉会館等の地域コミュニティの拠点でのインターネット 利用が可能となる。大型スーパーマーケットのような場所には、公共端末も設 置される計画もある。  このようなシステムの先導的利用者は、社会の中でも比較的知的好奇心が旺 盛で自主的に情報を出したいと考える人々であろう。従ってこういう人々をど こまで発掘、育成できるかが今後の大きな課題となる。さらにその結果形成さ れるであろう「コミュニケーションのある社会」というものへの、期待の大き さにも依存する。その普及を掛ける役割を担っているのは、まず行政、学校で あろうが、利用の先駆者である大学や大企業の「情報ボランティア」的な活動、 さらにマスコミの協力も期待される。  また地域内や近隣地区に大学がある場合は、ネットワーク化の推進において これらの大学が果たせる役割の指摘と認識、そして具体的な協力推進を期待し たい。 6.3)防災情報システムに望むこと  情報ボランティアは、今後モデル都市に整備される防災情報システムの利用 者層ともなるものである。いままでのシステムの利用経験から、情報ボランテ ィアとして想定したい防災情報システムのコンセプトは、例えば次のようにイ メージすることができる。 1.インフラとして,インターネットを基本としBBSとも情報を共有できること。 2.産・官・学・民の関係者,関心のある人々を普段からメイリングリストとWWW でつなぐ. 3.システムの機能と役割は次の行動を可能とし,支援するもの. [災害時] 日本型FEMAとして行動できるように, [復旧時] 福祉型ボランティアとして行動できるように, [平常時] 通信リテラシーの教育ボランティアとして,また一人一人の文化発 表の機会提供サービスとして,「市民に愛されるネットワークを」。 4.システム構成の上で,利用が低迷しないための留意点: A) ごく普通のシステムを素材にし、システムインテグレーションに重点を 置くこと. B) システムインテグレーションに伴う人材開発に重点を置くこと. C) コンサルティングに重点を置くこと. D) 設置後の維持管理の経費と手間を減らすために,機材は軽いものにすること. E) 設置後の,システムの寿命を出来るだけ長くすること. F) 一時利用手続きの簡素化,ICカード等が壊れた時の再発行,バックアッ プの自動化,等. G) システムの広域利用を,予算措置にも組み込む工夫が有効. H) 利用者を制限しない開いたシステムにする. (例:図書館、市営プールの市外からの利用) 以上である。 7.情報ボランティアの経験を生かす  今回、通産省関係の災害情報システム検討委員会には、情報ボランティアと して一人の出席が許された。これは構築されるシステムの利 用や運用に対する関係当局の配慮の現われであり、関係各位のご努力に感謝し たいと思う。そこで利用に関する 意見を述べる機会を筆者も与えられたので、出来るだけの 情報ボランティア達の意見を伝えようと努力した。そこで出てきた意見の幾つ かを、ここにもご紹介させていただきたいと思う。以下、引用が長くなるが、 お許し願いたい。 7.1)情報ボランティアN氏の意見  まず情報ボランティアとして一緒に活動したNTT Customer Systems Development DivisionのN氏の意見である。 [1.目的について]  システムの目的がどうしても行政主体に見えます。今回の震災におけるパソ コン通信やインターネットでの活動でも明らかな通り、ネットワークで大切な ことは、行政対住民といった関係だけでなく、住民同士(被災者であるかどう かを問わず)、ボランティア団体などの各種団体同士、あるいは住民と各種団 体との間など、様々な個人、組織の間でフレキシブルかつフランクにコミュニ ケーションできることであると考えます。なんでも行政が主体になったり中心 になったりして進めたり対応しようとすると無理や限界があることが今回の震 災でよくわかったわけですから、普段の所属や職業、地位などに拘らず、さま ざまな個人や団体が、その時々、その場所でできること、能力を発揮できるこ とを生かすことができるようなネットワーク作りを目指すことが肝要であると 考えます。 [2.ネットワークへの参加形態について]  ネットワークへの参加については、特に個人や草の根レベルの場合は、いつ でもどこでもだれでも気軽に加入/脱退できる仕組みが必要であると思います。 こうすると、ネットワークへの参加メンバ、ネットワークに流れている情報の 中身や確度などは常に変化することになりますから、運営面からも技術面から もサポートが必要になります。このときも、行政やあるいはあらかじめ定めら れた団体や個人などが中央統制を図るのではなく、できるかぎりシステムが(参 加している人も含めて)自律的に統制されていくような仕組みが望ましいと考 えます。 [3.平常時と災害時の利用形態の格差について]  平常時と災害時に想定されている利用形態にあまりにも差があると思います。 多くの利用者はこの通りでよいのかもしれませんが、例えばWNNのように平 常時であっても災害時のことを考え、ネットワークを日常の道具として活用し ていくようなことも考えておかないといざというときに役立たないと思います。 7.2)情報ボランティアS氏の意見  次に筆者の問い合わせに応じて、情報ボランティアのS氏は、 彼等自身が行った「生活情報の入力」というボランティア活動に対して、次の ように述べている。  僕の持論は、「行政はボランティアをアテにするべきでない。」でして、こ こでいうボランティアとは、まさに「無報酬労働者」の意味です。(行政が「ボ ランティア」という時、これは「ダタで使える労働力」ですよね。)  というわけで、ハードにカネかけるなら省力化を考えるべきだし、そうでな ければ「ボランティア」などといわずに、作業者に賃金払うべきだと思います。  で、後者はちょっと現実的でない(災害時に作業者の労務管理なんかできっ こない)ので、前者を考えてみました。  で、生活情報の入力部隊なんてのは、「通信社/新聞社の記事を一括して買 い取る」ことができれば、ハナから不要なんですよね。今時、輪転機にかける 前の段階で、どこの新聞社でも電子的な処理してます。これを集配信するシス テム(ロイター端末みたいな)を改造し、どこぞのBBSホスト(ASAHI-NET ?) につなげてしまえば、「入力」作業はいりません。いるのは、「取捨選択/並 び替え/インデックス作成」のマンパワーだけです。が、これも、記事の分類 のためのキーワードさえついてればあまり工数がかからない、と思います。  だから、新聞協会か郵政省かどこかで「生活情報」のフォーマットを決めて、 各新聞社のシステムを変更してもらうように予算つけてもらうのも、大マジメ に考えてみたらいいと思います。で、激甚災害の指定があったら、新聞社から の情報供与を、行政が要請する、と。  で、マスコミから流れてくる情報を取捨選択する作業の従事者、が「ボラン ティア」になるのですが、平時は何をしたらいいのかって言うと....スク ラップブック作り? っていうのは冗談で、ま、「通信ネットワーク」と「テ キスト入力」に馴れておくしかないでしょう。  ようするに、泥棒を見て縄をなう式ではダメでしょうから、生活情報の担当 者として必要な能力は、「ネットワークになれている」「テキスト入力が早い」 「パソコンは道具として使える」程度でしょう。こういう人が、今、タダ同然 で雇える(代替可能性が高い)とは思えませんので、これをボランティアで凌 ごうっていう発想は間違ってますね、たぶん。だから、マンパワーに頼らない 機構を作らないとダメです。でないと、インフラはあっても、オペレーターが いないという事態になるでしょう。  逆にいうと、確保できるオペレーターで運用できる仕組みを作るべきなんで す。  同じ理由で、各行政機関の「広報」に機械化/電子化の予算をつけるのも重 要でしょう。 (中略)  ついでに、横浜市のWWWを見て思ったのですが(首相官邸からリンクあり) どうでもいいような市の宣伝にカネかけるのは、もう少ししたらやめて、市民 に広報すべき内容を吟味して、市民との対話を考えて欲しいです。  せっかっくの Web なんだから、「市民の声」「市長への提言」「市議会への 提言」なんてのも用意して、トレーニングも兼ねてインタラクティブに使って もらう。  そうすれば、市民サイドでも「書き込み」に馴れてくれるかも知れません。 そうなれば「情報ボランティア」に適した人を、ここ(Web)で募集すること ができます。ま、これは現時点では横浜市・神戸市・千葉市くらいしか効果な いですが、自治体防災システムの一部として、情報リテラシーに国の予算がつ くみたいなことが言われてますから、企業誘致の宣伝や、観光スポットの紹介 だけでなく、いろいろやってもらいたいものですね。そうでなければ、税金の ムダ。監査請求を出しましょう。 7.3)情報ボランティアSさんの意見 さらに紹介したいのは、NIFTY-Serveにて「ニュース!」の編集を行った一人、 Sさんからのコメントである。  情報ボランティアという名称ができたのは、ボランティアの中で通信面がい ままで不十分であったことを示しているのだとおもいます。だれもがパソコン 通信やinternetを利用できるようになれば、これらを使ったほうがよければ、 使うというようになり、ボランティアの一部にすぎなくなるでしょう。  もちろん、情報処理を主にするボランティアもいるでしょう。  誰でもがとはいかないまでも、かなりの人がパソコン通信やinternetを日常 使うという状況が近づいてきているように思います。企業はもちろん、家庭で のパソコン普及のきざしがみえるからです。あとは、パソコン通信やinternet の容易化・習得の容易化・通信費の低減ができれば、急速に普及すると思いま す。setupの難しさを技術的に解決する。小・中学校にパソコンを導入し(緊急 時にも使えるようにすること)、習得を義務教育にとりこむ。さらに、この 教育システムをうまく運用して社会人教育をもおこなう。通信費の低減は規制 をはずし、自由競争をできる環境を作ることでしょうか。行政の壁を乗り越え られるならば(これが一番難しい?)、できる可能性があるように思います。  パソコン通信やinternetを高齢者に普及できるならば、孤独化の問題解決・ いきがい創造・緊急時の老人パワーの発揮と多面的な効果があるだろうと考え ています。  地域での活動単位は町内会や自治会を考えるのがいいとおもいます。これら は通常で活動していますし、通知はワープロで作ることはあたりまえになって います。避難所になるであろう公民館や学校は町内会や自治会が利用したり、 構成員の子供達が通っているところです。  7月半ばからinternetを利用するようになりました。始めた理由は、安いプ ロバイダーの出現、情報収拾希望、阪神・淡路大震災のボランティアをして internetの有用性を実感したためです。  次に、私達がしたこと、または、しようとしたことで、お送りいただいた資 料にほとんど触れられていないことで有効だったと思われることについて書き ます。  その特徴は、ボランティアが被災地から離れたところにいて(多くは首都圏) NIFTY-serve、新聞、TVなどからあつめた情報を編集し、電子出版し、被災地 または被災地の近くにいる人に印刷して配るように呼び掛けた。また、記事に はできるだけ連絡先を付け利用前に連絡先に問い合わせるようにしてください という注意書をした。 [a 災害が起こって数日後とそれに続く混乱時] 行政などがとった被災者むけの特別措置、銭湯情報、交通情報など生活に密 着した情報を集めた。銭湯情報を5000部印刷してボランティアで現地に行 くときにもっていって配って喜ばれたという報告や、被災者自らが日赤の協力 を得て印刷し、避難所などに配ったという報告などを得た。 [b 新聞、広報などの情報が行き渡ってから] 電子出版をする一方で、行政などがとった被災者向けの情報をまとめて、印 刷して避難所、区役所、市役所などに配布。まとまった情報なので、便利と感 じていただいたようある。   a のように想定以上の災害で混乱が起こったときには被災地外の人が情報の 収拾編集をし、必要ならば印刷をして被災地に持ち込むのが有効に思います。   b については広報の出版の工夫の仕方により、または、通信網が行き渡れば、 情報のDATABASE化により解決するとおもわれます。  ご要望に答えてみようとおもいます。 [とくに,生活情報の入力部隊は,平常時には,どんな情報をあつかうのがいいか?] 私達は今回の震災で集まった集団だったので、気心がしれるまで苦労しまし た。せっかく知り合ったので連絡をとりあうようにしています。個々人が情報 処理能力の向上に努め、通常時でも連絡をしあう。ときどき、緊急時を想定し て、そのときどう動くかを考えてみることでしょうか。平常時にこの情報をあ つかうといいといったものはないのではないでしょうか? [だいたい,だれがやるべきか?(行政か?ボランティアか?外注か?)] 通常、生活情報を提供している者が、緊急時を想定して情報提供の仕方を考 えておく。それ以上のことが起こって混乱したら、自然発生的にボランティア がその隙間を補うということになるのではないでしょうか。今回がそうであっ たようにおもいます。要は、同じことを2度は繰り返さないことが重要におも います。  有効で災害に強い通信網の普及が第一目標だとおもいます。それにしても、 いま首都圏に阪神・淡路大震災と同じような災害がおきたら、私はいわゆる情 報ボランティアとして働けないのは勿論、個人の情報収拾もできないのではと 危惧しています。何故かというと私が利用しているNIFTY-serveもBEKKOAME も首都圏にその心臓部があるのではないでしょうか。これらが動かなければ、 私も動けません。対応策を考えなければとおもっています。 7.4)情報ボランティアM氏の意見  最後に、やはり情報ボランティアとして筆者とともに活動したM氏(物理学 研究者)は、初期段階での災害情報システム(案)を見て次のように述べて いる。 現状の提案は、先の大震災で、インターネットや情報ボランティアがうま く機能した部分の金物だけを取ったような印象が強い。日頃からの人材を どうやって育てるかが、やはりポイントになる。 (中略) ある作業を業務として請け負う人間の技術力よりも、ボランティアとし て参加する人間の技術力の方が圧倒的に高いのがインターネットの世界で ある。これが「インターネット」の「マンパワー」の現状であるという認 識を、できるだけたくさんのインターネットの外の人間に知ってもらいた いと思う。 (後略)  それぞれ、実体験に基づいた貴重な意見であると思う。これらの意見を含め て利用者からの意見集が通産省の委員会に提出され、生かされることとなった。 7.5)インターVネット・ユーザー協議会からの提言  さらにこのような経験や意見を組織的かつ広範囲に生かすため、1995年 5月にインターVネットユーザー協議会なる名称でメイリングリストが作成さ れ、議論された。これには当時の情報ボランティアグループ、情報通信に関連 が深いボランティア団体の代表ら(計12団体15人)と関連する行政関係者 (通産省、郵政省、兵庫県の関係者ら8人)が合同で参画し、震災後数ヵ月に おける情報システムの利用経験や提案を集約するための継続的議論が行われた。 11月末には、これらの議論をまとめる形で「提言」の作成も行われ[35]、1 2月には関係各方面への「提言」の配布と意見収集が始まっている。今後の発 展が注目される。 8.おわりに  本稿では情報ボランティアをめぐって、インターネットや大震災とのかかわ りを筆者の視点で整理し、これからの問題について考えてきた。  阪神大震災で初めてボランティアに参加した若者達は100万人を超える。 彼らは人々の連帯感を身に感じ、 その多くは人生観が変わったという。大震災は国民の 多くに、行政と自分(サービスを受ける市民)との関係を考え直す契機を与え た。行政に出来ることと出来ないことがあることも、広く理解された。そうい う中で、社会の中で「コミュニケーションのある社会」が求められ始めている と思われる。  インターネットで繋がれるフラットでシームレスな、人々のネットワークは、 これからのコミュニケーション社会にとっても貴重な存在となるであろう。そ のような社会におけるインターネット利用の問題点の多くを、それが利用出来 た人が少なかったという事実を含めて、本稿で述べた情報ボランティアたちは 先取りして体験することとなった。  本稿で触れてきた情報ボランティアであるが、その数は実は非常に少 なかったと言うべきかもしれない。1年後も活動を継続しているのは、全国民 1億2500万人の中で、わずか150人の程度である。これは、国民の10 0万人に一人の割合であるということも出来る。勿論すでに述べた様に、情報 ボランティアの予備軍(ネットワーク上で意見を述べた人々)の数はおそらく 数千人の程度であると推定される。また電子ネットワーク上で情報を収集し何 らかの行動に生かしたであろう人々の数は約50万人の程度であった。しかし これでも国民の200人に一人の割合(約0.5%)であった。今回の震災におい ては、情報ボランティアの実数はその程度である。しかし今後はこの数も、毎 年2倍程度の割合で、急速に増加するであろう。  電子ネットワークとボランティアが日本社会に浸透し始めた1995年とい う時期に、偶然発生した大震災支援を契機として生まれた情報ボランティアで あるが、彼等が体験し蓄積したノウハウには貴重なものがあると思われる。 彼等は今まで にそうであったように、今後も機会ある毎にこのような体験を自主的に外に向 けて語り、そのノウハウを生かせる場所で生かすことによって、この日本社会 を少しでも災害に強いものにしていくことができるように思う。またそれと平行 して、行政にも市民にも愛される,人々のネットワークが今後作られていく際の、 その一助となることが、微力ながらも出来るように思われる。  最後になりましたが、先の大震災から1周年を迎えるにあたり、 あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。 参考文献 [1] 下條真司「阪神大震災と情報技術」(日本ソフトウェア科学会、緊急シンポ ジウム、1995年3月24日) [2] 水野義之「数学・物理学の話題交流とネットワークの利用」(「大学の物 理教育」95-1号(通算2号)(日本物理学会), p.29.) [3] 石田晴久「コンピュータ・ネットワーク」(岩波新書); 村井純「インターネット」(岩波新書) [4] 金子郁容「ボランティア−もうひとつの情報社会−」(岩波新書); 今井賢一、金子郁容「ネットワーク組織論」(岩波、1988年) [5] 特集「いまNPOに注目!」(「経済セミナー」,日本評論社、1995年10月号) 特集「都市行政とボランティア」(月刊「都市問題研究」,平成7年8月号) [6] 岡部一明「もう一つの公共=NPO制度とは」(雑誌「技術と人間」、1992年 9月号,pp.42-56) [7] 岡部一明「パソコン市民ネットワーク」(技術と人間、1986年) [8] 『神戸新聞』「淡路島版,1995年9月12日「洲本市災害情報ネットワーク」; 『産経新聞』「淡路島版」1995年9月12日「洲本市,災害支援システム構築」; 『朝日新聞』「兵庫版」1995年10月4日「三木市,パソコンでネット ワーク,避難所と市役所結ぶ」; 『神戸新聞』1995年10月4日「パソコン通信,市役所と避難所直結,災害対応へ 情報ネット,年度内に市,データベース構築へ,個人情報カードも計画」 [9] 高崎望「マルチメディアの現実−浮かれすぎては未来はない−」(経済界、 1994年10月31日); 特集「高度情報化と自治体の情報政策」(月刊「都市問題研究」,平成7年 2月号); 「ひょうご情報化ハンドブック」(兵庫ニューメディア推進協議会、平成7年3月) [10] 「中田厚仁 記念文庫」(大阪大学付属図書館) [11] 高田裕之「ボランティアは何をしたか」(岩波「世界」,1995年10月号, pp.89-94.) [12] 早瀬昇「市民活動の現状と可能性」(「市民活動の時代」所収、とよな か国際交流協会、1995年4月) [13] 島崎眞波 「『阪神・淡路震災復興計画(ひょうごフェニックス計画)』 への提言」 (1995年) [14] 奥乃博「阪神大震災でインターネットの果たした役割と残された問題点」、 (IAJ NEWS(日本インターネット協会ニュース), Vol.2, No.1, pp.2-9.) [15]「大規模災害とインターネット−阪神大震災にインターネットはどう対 応したのか−」, 「INTERNET magazine」(インプレス)、1995.4、pp.064-067. 「大規模災害とインターネット−残された課題と今後のインターネット活動−」、 同上、1995.6、pp.076-079. [16] ITフロンティア「阪神大震災とインターネット」(「日経ビジネス」,日 経BP社,1995年5-22号、 pp.54-56.) [17] 高野孟「GO QUAKE−パソコンネットが伝えた阪神大震災の真実−」(祥 伝社、平成7年7月5日) [18] 今瀬政司「電子ネットワークを活用したボランティア活動」(『地域開 発』1995年5月号所収、(財)日本地域開発センター) [19] 水野義之「被災地からの情報発信サポートシステムと今後」、CG Osaka'95 シンポジウム、1995年6月20-22日、特別プログラム(「災害とマルチメ ディア」予稿集所収,日本能率協会,1995) [20] NHK取材班「ボランティアが開く共生への扉」(NHK出版、1995年7月20日) [21]芝勝徳「緊急時のネットワークコミュニケーションの大切さ」 (AccessPlan Extra, 199, Ver.9,全国大学生協, p.13.) [22] 座談会(辻新六、他6名)「災害と情報システム」(コンピュータサイ エンス誌bit,共立出版、1995年8月号、pp.29-43.) [23] 水野義之「インターネットがつなぐ子どもの心」(季刊「子ども学」 Vol.10所収、ベネッセ、1996年1月) [24] 座談会(石田晴久、ヘーラトA.S.、水野義之、赤城昭夫) 「インターネットと災害」(季刊「予防時報」、No.184,日本損害保険協会, 1996年1月) [25] 干川剛史「もう一つのボランティア元年−阪神・淡路大震災と情報ボラ ンティア−」(『徳島大学 社会科学研究 第9号』 徳島大学総合科学部、 1996年2月出版予定) [26] 「災害時における情報通信のあり方に関する研究」(兵庫ニューメディ ア推進協議会、平成7年5月) [27] 兵庫県震災ネット事務局 「こうのとりニュース 」(1995) [28] 清水和佳「『VAG』と情報ボランティア」(1995) [29] インターVネット事務局「インターVネットニュースレター」(1995) [30] VCOM「VCOMニュースレター」 (1995) [31] AMDA「72時間ネットワーク発足式開催報告」(月刊「国際医療協力」, Vol.18,No.11,1995,AMDA、岡山) [32] 野田正章「災害救援」(岩波新書、1995年7月20日) [33] 成田雅博、他「インターネットの教育利用と山梨大学教育学部附属小学 校の実験」(IAJ NEWS,日本インターネット協会ニュース, Vol.2, No.1, pp.17-29.) [34] 山内祐平「教育現場におけるインターネット利用の動向」(100校プ ロジェクトシンポジウム、1995年5月27日、大阪大学) [35] インタ−Vネットユーザー協議会・VCOMケースプロジェクト、 「インターVネット防災情報通信システム構想 (案) --- 「情報ボランティア」 からの提言 ---」(1995年11月23日) −−−−−ここまで: