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コミュニケーションと相互作用, ワークプレイス

ソーシャル・キャピタル

開放型コミュニケーションについての考察において欠かせない概念としてソーシャル・キャピタルがある. Put-num は 「ソーシャル・キャピタルとは,社会組織における社交ネットワークや規範,社会的信頼といった特徴で,互いの利益にむけた調整や協力を促進するもの」 だと説明している [Coh 01]. この項目においては Cohen ら [Coh 01] によるソーシャル・キャピタルとそれをはぐくむコミュニケーションや交流に関して紹介し分析する. なお,Cohen らによるソーシャル・キャピタルの分析は多岐にわたっているが,本文ではオフィスワーク向け情報通信技術により関係がふかい部分を中心にとりあげ,他の部分については付録においてのべる.

1. ソーシャル・キャピタルの重要性

Cohen らは,ソーシャル・キャピタルの企業組織における役割はこれまで軽視され,それをはぐくむ環境や時間がうばわれてきたが,それが非常に重要な役割をはたしてきたことを指摘している. Cohen らはつぎのようにとのべている. 「職場における人と人とのつながりがどれだけ大切かは,ほとんどの人の日常生活のなかで自明のことになっている. ところが,企業や,企業を研究する人たちは,このような当たり前の現実を無視してしまうか,否定のしようのない陳腐なスローガンにまとめてしまう場合が多い」. ソーシャル・キャピタルがそだてられる場として,よくサボリとうけとめられている昼食後の食堂やコーヒールームにおける会話 (訳書 p. 31, p. 136-137) や,開放的な構造のオフィス (たとえばエレベータではなくエスカレータを導入したオフィス) によって拡大される社員どうしの接触 (p. 132) をあげている. Cohen らによれば,「多くの企業のマネジャーは,他の社員とのおしゃべりや交流のための時間を,とうてい容認できない贅沢のように考えている. だが著者は,この一見して贅沢に見える時間が実は必須の要素であり,必要不可欠なソーシャル・キャピタル投資であると考えている」.

2. ソーシャル・キャピタル育成のすすめ

Cohen [Coh 01] によれば,ソーシャル・キャピタルをはぐくむために,企業のリーダーは 「社交的な会話 (噂話,おしゃべり,物語) の力と正当性を認識し,次に挙げるようなさまざまな方法で気軽な会話を推進すべきだということである.

  • 「人々がお互いに出会うような交流のための空間を提供する (そのことによって,会話を正当なものと認める)」
  • 「会話のための時間を認める」
  • 「直接顔を突き合わせての会話を優遇する」
  • 「有益な会話」の定義を,おしゃべりにまで拡大する」 (p. 178).
  • 人々がお互いに出会うような交流のための空間を提供する (そのことによって,会話を正当なものと認める).

3. ソーシャル・キャピタル育成を阻害するもの

ワークスタイルの多様化によって顔をつきあわせての (face-to-face) 会話の機会がへることがソーシャル・キャピタルの蓄積を阻害するひとつの原因になっている. また Cohen [Coh 01] は,知識労働化にともなって 「情報」 の重要性が認識されるにつれて,重要性が増したはずのソーシャル・キャピタルの蓄積が逆にさまたげられているという. 「社交的な会話ができなくなったこと (そしてソーシャル・キャピタルが失われたこと) のほうが,情報交換ができなくなったことよりも決定的だったのである. 今日の強迫的な情報へのこだわり (そして,最新の情報についていかなければという強迫観念) のせいで,人々は,ニュース速報のやり取りが 「つながっていること」 と同義であり,それさえあれば他の種類のつながりは不必要になると思い込んでしまうかもしれない. だが,そうではない. 情報をあまりに重視しすぎると,本当の 「つながり」 が阻害されてしまう可能性がある. [中略] 問題は [中略] 情報が,社交的なおしゃべりを駆逐してしまうことなのだ」 (p. 170).Cohen はまたつぎのようにも書いている. 「信頼や協力的な作業のための 「つながり」 を構築していくという点で,会話による意思の交換がどれほど重要かを考えれば,情報共有よりもむしろ,会話のほうが大切であると言える」 (p. 174).

4. ソーシャル・キャピタルとコミュニケーション・メディア

この節においては,おもにインターネットによって実現されたコミュニケーション・メディアとソーシャル・キャピタルとの関係についての Cohen らの論点をとりあげる.

4.1 2 つのエピソード

Cohen らは "仮想的" なつながりをうみだすチャットルーム,専用会議室,掲示板,フォーラム,タウンミーティング,アゴラなどについて,「サイバー・スペースは 「現実の場所」 の適切な代替物にはなりえない」 とのべ,電話やテレビ会議にたよらないミーティングに価値をおいている. この点に関する 2 つのエピソードを Cohen らはつかっている. これらはソーシャル・キャピタルに関する課題というよりは現在のコミュニケーション・メディアの問題点をストーリー (付録参照) によって指摘したものである.

第 1 はこの本の著者自身の経験にもとづくものである. 早朝のローガン空港でビジネスマンたちがニューヨークいきの飛行機にのるのをみた著者は,インタビューをこころみた. その結果,「約半分の人は社内のミーティングに向かう途中だった. 時間と経費を使い,長くてもせいぜい 2 ~ 3 時間ばかり同僚と過ごすために」 そうしていることがわかった. 電子メール,ファクシミリ,電話はもちろんつかえるしテレビ会議システムもつかえるのに出張する理由は 「さまざまだったが,いずれも同じテーマに触れていた. 「その場に私自身がいないと,予算がカットされとしまうからね」 「私がいないと,馬鹿な決定をしてしまうかもしれないからさ」 「私がいないとやはりマズいだろう」,そして最も一般的なのが,「とにかく,そこにいる 『必要』 があるからさ」 という答えだ」 (p. 249-250).

第 2 は,メディアをとおした会議が致命的な結果をもたらした例である. NASA によるチャレンジャー打ち上げは電話会議によって決定されたが,Vaughan [Vau 96] はこれを再現し,「非言語的なシグナルが失われると,どれほどコミュニケーションが貧弱になるか,また直接の対面によるコミュニケーションが持つ側面が失われると,どれほどの誤解と断絶が生じるかを如実に示している」 という. 3 つのサイトに分散したスタッフの電話会議において,安全性への疑問点を指摘したサイトがあったにもかかわらず,そのサイトが 30 分間オフラインになっているあいだにその意見はとりさげられてシャトルはうちあげられ,爆発がおこり,乗員は死亡した. Vaughan はつぎのように書いている. 「そのとき我々が置かれた環境でのコミュニケーションは,もっぱら,言葉や抑揚,沈黙に依存していた. 通常なら解釈を助けてくれるはずの視覚的な手がかり (ジェスチュアや顔の表情,身振り,行動) のほとんどが活用できなかったのである.」

4.2 メディアの問題点

Cohen らはメディアの問題点を上記のようなストーリーとしてだけでなく,箇条書きのかたちでも指摘している. まず,サイバー・スペースにおける 「出会い」 の弱点として,つぎの点をあげている.

  • 「身振りや顔の表情,感情,声の調子などが大幅に抑制されるか切り捨てられてしまうため,コミュニケーションの幅が非常に狭くなる.」
  • 「オブザーバーとしての参加意識が弱まる (物理的な集団のなかで発言しないメンバーと違って,オンラインでの議論に参加しないまま中止している個人は存在が忘れられやすい).」
  • 「物理的なミーティング場所を満たす予想外の光景や音は,特定のテーマや業務のために設定されたサイバー・スペースでは排除されがちであり,思いがけない発見を得る機会が少なくなる.」

また,Cohen らはつぎのような指摘もしている. 「現在のテクノロジーの発展状況を考えると,仮想性には以下のように基本的な問題がつきまとう.

  • 仮想性を実現するためのテクノロジーはいずれも (今のところは),人々がソーシャル・キャピタルを構築していく際に使っている幅広いコミュニケーションの一部なりとも伝達できていない.
  • 仮想的なつながり (および私たちがそれに注ぐ関心) は,短く間歇的なものになる傾向がある. だが,長続きする社会的つながりやソーシャル・キャピタル構築には時間がかかるものである.
  • 仮想的なつながりは,明解で限定的な目的をもつものになりがちで (通常は,特定のテーマに関する情報交換である),参加者も意図的に選ばれ,限定されている. だが,社会的なつながりは,偶然の出会いや幅広い会話・おしゃべりのなかで育まれる場合が多い.
  • 電子メールやテレビ会議といった仮想的なコミュニケーションは,人々の関心を実際に自分の周りで起きていることから逸らしてしまう可能性があり,人々は事実上,「ここにも向こうにもいない」 状態になる.

以上のような理由で,とりわけ豊かさや幅広さ,ニュアンスが失われてしまうという理由で,オンラインによるコミュニケーションは,「そこにいる」 ことと等価ではない」 (p. 262-263).

Cohen らはさらにつぎのような指摘もしている.

  • 「「ビーニー・ベイビー」 のウェブサイトでメッセージをやり取りする人々を 「コミュニティ」 と呼ぶのは,コミュニティという概念を格下げすることのように思われる. このようなグループには,コミュニティの特徴である,お互いの調整や相互性といった複雑な関係がほとんど欠落している」 (p. 260).
  • 「電話による会話には,ポストマンが求めていると思われる 「表情」 が欠落しているが,ほとんどの人は,それをリアルな会話だと思っている」 (p. 262).

以下でしめす最後の点は,開放的なコミュニケーションというこの節の本来のテーマにもっとも示唆的な点である. 「オンライン・コミュニケーションは,比較的表現豊かな形式 (たとえばテレビ会議) であっても,目的が限定された情報志向のものになりがちであり,職場全体でたえず行われているコミュニケーション (特に社交的なコミュニケーション) の代替にはなりえない」 (p. 274). すなわち,目的が限定されない,つまり開放的なコミュニケーションが必要であることを指摘している. これは,メディアによって開放的なコミュニケーションが実現されれば,この問題が解決または軽減されることを示唆している.

4.3 仮想環境におけるソーシャル・キャピタル育成の可能性とヒント

しかし,Cohen らは仮想環境におけるソーシャル・キャピタルの育成をまったく否定しているわけではない. すなわち,

  1. 「距離の壁を越えてチームや職場,その他のグループを結びつけるためにテクノロジーを利用すること (本書で言う 「仮想性」) が,今日の多くの企業では現実となっており,今後はますます当たり前になっていくかもしれない」 ことをみとめ,
  2. 「仮想性がもたらす影響は必ずしも悪いものばかりではない」 と指摘し,
  3. 「新たなテクノロジーも,その用途の多くも,将来的には今とは違うものになっているだろう」 と指摘している.

ただし,Cohen らはこれらの点を十分に議論していない.

Cohen らはつぎのような指摘もしている. 「テレビ会議より電話のほうが優れたコミュニケーション手段である場合は多い. 理由はおそらく,電話のほうが信頼性が高く馴染み深いツールで,私たちは何十年もかけて電話の使い方を身につけてきたからだ (といっても,最近開発された多者間通話の扱いにはまだ馴染みが薄い. このシステムでは,話していない人は 「忘れられる」 傾向がある) (p. 264). これは,課題をかかえたメディアであっても,その使用に慣れれば欠点をカバーできるということを意味している.

Cohen らが結論的にのべていることは,つぎのとおりである. 「ソーシャル・キャピタルという視点は,テクノロジーそのものを改善する際にも参考になるし,仮想性をもたらすテクノロジーをいつどのように使えば効果的かということも教えてくれるものと考えている. 信頼と理解がどのように培われるのか,社交ネットワークとコミュニティのライフサイクルはどうなっているのか,「会話」 の完全な意味は何なのか ― このような点を理解することは,今後バーチャルワークのための機器を設計する際にも役立つはずだ」 (p. 291-292).

5. 文字情報共有とソーシャル・キャピタルとの負の関係

Cohen らは 「情報共有か,コミュニケーションか」 という小見出しのもとでつぎのように書いている. 「情報が,社交的なおしゃべり・会話を駆逐してしまう」. すなわち,文字によるメディアによっておおくの情報をつたえるようにすると,ソーシャル・キャピタルはかえってうしなわれてしまう: 「親密なおしゃべりは,ニュース速報に駆逐されていった. 私たちが書く文章はますます 『事実』 で膨れ上がり,自発性は失われていった. 語られる言葉からは,感情的な温かみが消えてしまった」 [Loc 98]. つぎの表現は,このような指摘をまとめたものといえる. 「信頼や協力的な作業のための 「つながり」 を構築していくという点で,会話による意思の交換がどれほど重要かを考えれば,情報共有よりもむしろ,会話のほうが大切であると言える」 (p. 174).

これと同様の指摘は奥田 [Oku 03] によってもなされている. 「グループウェアは,導入直後は [中略] 熱心に使われることが多いが,やがて使われなくなる. [中略] グループウェアがうまく機能しないのは,その設計思想の根底に,知識を共有することこそが集団の創造性を生みだすというメディア観があるからだ.だから,これを使うと,情報の共有に費やす時間コストが大きくなってしまい,みんなで知恵を出し合って考えるという肝心の時間がかえって少なくなってしまうということが起こる」 (p. 64). ここでは単なるおしゃべりではなくて知恵をだしあうことの必要性が指摘されているわけだが,Cohen らの指摘とのあいだに本質的な差はないとかんがえられる.

参考文献

  • [Coh 01] Cohen, D. and Prusak, L., “In Good Company”, President and Fellows of Harvard College, 2001, 訳書: コーエン, D., プルサック, L. 著, 沢崎 冬日, “人と人の 「つながり」 に投資する企業, ダイヤモンド社, 2003.
  • [Loc 98] Lock, J., “The De-Voicing of Society”, Simon & Schuster, 1998.
  • [Nik 05] “キーワードは動画像を使った “疑似体験””, 日経コンピュータ 2005-11-28.
  • [Oku 03] 奥出 直人, “会議力”, 平凡社新書, 平凡社, 2003.
  • [Yah 98] 八幡 紕芦史, “ミーティング・マネジメント”, 生産性出版, 1998.
  • [Yam 01] 山崎 将志,“eLearning — 実践的スキルの修得技法”, ダイヤモンド社, 2001.

付録: ソーシャル・キャピタルについての補足

Cohen ら [Coh 01] は本文においてのべた以外にもソーシャル・キャピタルに関して示唆的な内容をいろいろ記述している. ここではそれらをまとめる.

S1. ソーシャル・キャピタルがうみだす価値

Cohen らは,このような 「つながり」 から生み出される価値として,つぎのような項目をあげている (p. 93-115).

  • 帰属意識 (忠誠心)
  • 実地情報 (一般的な情報や理論上のモデル,公式の発表とは対照的な,真実の経験に伴う複雑な現実を意味する言葉 [Coh 01])
  • 慣行
  • 情報の流通
  • 知識 (暗黙知)
  • 協働

S2. テレワークの問題点

テレワークあるいは遠隔勤務は直接の会話のかわりに前節でとりあげたメディアを使用することによってはじめてなりたつものであるから前節とかさなる部分が多いが,Cohen らが重点的にのべているので,節をわけた. Cohen らは遠隔勤務の問題点をつぎのようにまとめている. 「会社生活におけるしきたりや日常的な活動は,コミュニティを創り出し,規範や価値観を定義・強化し,信頼と共通理解を構築し,アイデンティティの確定に貢献し,労働において非常に重要な部分である認知や仲間意識といった無形の報酬を提供してくれる. しかし,当然ながら遠隔勤務者がオフィスにいることはめったにないから,彼らはオフィスでの生活からも,それによって得られるメリットからも切り離されている」 (p. 273-274).

より具体的な問題点として,つぎのような点をあげている.

  • 「アメリカ労働省が国内の大手企業 8 社を対象に綿密な調査を行ったところ,職場での学習機会のうち,少なくとも 80% は非公式な形で生じていることがわかった. もちろん,その機会を利用するには,その場にいなければならない」 (p. 274).職場にいない遠隔勤務者はこのような機会を利用することができない.
  • 「遠隔勤務者は,「見えない者は忘れられる」 効果に悩まされる. 仕事ぶりに対する信用も低下するし,何か新しい状況が生じたときにたまたまその場にいる社員に比べ,興味深い新業務を担当できる機会も減ってしまう. 都合のいい 「思いがけない発見」 を得るチャンスも,遠隔勤務では少なくなる」 (p. 274-275).
  • 「遠隔勤務では,個人が組織の一部になるうえで必要な網の目状の豊かな 「つながり」 が減少し,脆弱かつ乏しい 「つながり」 しか残らない. 団結や協力は失われやすい. 仕事の状況がどうなっていて,誰が何をやっているのか,どう進められているのかもわかりにくくなる. さらに,ロイヤルティも低下する」 (p. 275).
  • IBM のバーチャル・オフィス社員に関するコーネル大学の調査によれば,「これらの社員のうち 77% が 「業務における専門的なコミュニケーション」 がオフィスで勤務していたときに比べ大幅に悪化したと判断し,また 88% が同僚と交流する能力が低下した,あるいは大幅に低下したと答えている」 という ([Coh 01], p. 275).

S3. マクルーハンとフォースター

1960 年代にマーシャル・マクルーハンらはつぎのようにのべている. 「電気回路は 『時間』 『空間』 という秩序を覆し,他のすべての人々に関する出来事を,あっというまに,しかも継続的に私たちに注ぎかける. それはグローバル規模で再構成された対話だ. それが伝えるものは 『完全な変革』 であり,心理的,社会的,経済的,政治的な偏狭さに終止符を打つ. [中略] 新たな電子的な相互依存は,世界を 『グローバル・ビレッジ』 というイメージにつくり直す」 [Coh 01]. しかし,Cohen らによれば,ソーシャル・キャピタルがはぐくまれていく様子をみれば,上記のようなマクルーハンの信念はうらぎられているという.

マクルーハンと対立する見解は 100 年も前に,E. M. フォースターの短編小説 『機械は止まる』 にあらわれているという [Coh 01]. この物語には WWW を 「驚くほど正確に予見した描写が登場する」 が,「フォースターは,世界中の人々が部屋に閉じこもり,電子的に相互依存して生活する様子を描き出す」. 「人々のなかでは 「直接経験に対する恐怖」 が高まっている」.

しかし,一方でマクルーハンはつぎのような指摘もしている. 奥田 [Oku 03] (p. 73) によれば,「マーシャル・マクルーハンは,人間は五感のバランスが大切であり,メディアはその一部を拡張するものだと主張している. 彼によると,声というメディアで情報が伝達されていた時代にはこのバランスが崩れていなかった. しかし,書かれた文字というメディア,ついで印刷された文字という視覚メディアによってコミュニケーションが行われるようになると,五感のバランスが崩れていった. そして,そうしたバランスを回復することができるのが,電子メディアによるコミュニケーションである,というわけだ」. マクルーハンの信念は現在のメディアにもとづいているわけではなく,将来確立されるべき五感のバランスがとれた電子メディアのもとではじめて実現されるものなのではないだろうか.

S4. ストーリーテリングと e-learning

Cohen らはまた,ソーシャル・キャピタルを蓄積し支援するちからがあるものとして,ストーリーテリングをとりあげている. 「経験から考えれば,人間は主として 「物語的」 に自分自身や周囲の世界を理解する」 (p. 182). 「ストーリーテリングは,明示された知識はもちろん,暗黙の知識を伝達するための重要なツールであると考える見方が強まっている. つまり,単なる情報だけでなくノウハウ,すなわち,どのようにして物事を成し遂げるかという,つかみどころのない,からだにしみ込んだ知識を伝える手段なのだ」 (p. 183). ここで重要なのは,ストーリーテリングには論理的に表現された内容だけでなく,「解釈やイメージを修正する余地が残っている」 (p. 189) ことだとかんがえられる. また,Cohen らはつぎのようにも書いている. 「企業のアイデンティティにまつわる物語のほうが,ビジョンやミッション・ステートメントよりもはるかに効果的なのである」 (p. 187). そして,「戦略プランを箇条書きではなく物語として語る 3M のやり方」 (p. 188) を紹介している.

「単なる情報だけでなくノウハウ,すなわち [中略] からだにしみ込んだ知識を伝える」 ことに関しては,e-learning が適しているといわれている. すなわち,シミュレーションやロール・プレイング・ゲーム的要素をとりいれた e-learning をつかうことによって,従来のテキストや単純なハイパーテキストではえられなかった,よりリアルで量的なノウハウの学習や,えだわかれするストーリーの体験が可能になる. 山崎 [Yam 01] は形式知と暗黙知を駆使して何かをなす能力を 「スキル」 とよび,つぎのように書いている. 「IT を活用した人材育成に成功している企業は,知識よりも実践につながるスキルを重視している,そして,実践的なスキルを 「教えよう」 とはせず,「学習させる」 ことにシフトしている. 社員の 「学習」 によるスキル習得を,IT を活用して効果的に行うための基本コンセプトが 「e ラーニング」 である」. スキルは仕事,従来の研修,従来型のオンライン・マニュアル型 WBT (Web-Based Training) などを通じて学習することがむずかしく,その学習には e-learning が最適だという. E-learning による疑似体験については,日経コンピュータの記事 [Nik 05] にも記述されている.

しかし,このようなスキル修得のための e-learning のおもな問題点は教材をつくることのむずかしさにあるとかんがえられる. 教材をつくるには e-learning そのものと業務に関する高度の知識・スキルがもとめられ,また周到な計画が必要であり,膨大なコストがかかるとかんがえられる. これに匹敵する効果をよりすくないコストで実現させる方法 (e-learning にかぎらない) をさがすことも必要だとおもわれる.

S5. ミーティングの周辺

会議に関する書籍においては一様に会議は定刻に開始するべきだとのべている. しかし,Cohen らはつぎのようにのべている. 「ゼロックスの幹部は,コピー修理技術者の会議の際に,開始をわざと定刻より遅らせた. 技術者たちがお互いにおしゃべりする時間をつくるためだ」 (p. 159).

しかし,会議が定刻に開始されるとしても,つぎのような方法をとることができる. 「HP では伝統的に,自分の部署以外で行われるミーティングや会議の際には,早めに現地に到着することが推奨されている. そうすれば,あたりを歩き回り,人に会い,昔の知人とおしゃべりし,そこで起きている状況を全般的に眺められるからだ. このような余分な時間は,交流のための時間や社会的な 「つながり」 への投資なのである」 (p. 158). 八幡 [Yah 98] はこれにちかいことをのべている. すなわち,「議長がミーティングを開始するまでに,あなたが席に座ってしなければならないことは,他の参加者と座談すること. [中略] 雑談しながら,いろいろな情報を収集する」 ことである.

また,ソーシャル・キャピタルの重要性が認識されていない会社においては,「利益が減少する兆候が見えただけで,出張や会議のための予算を削ってしまう企業の話を耳にする. だがこういうときこそ,もっと内部・外部の社交ネットワークに投資すべきなのだ」 (p. 115) ということになる.

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